春の夜の夢ばかりなる手枕(たまくら)にかひなく立たむ名こそ惜しけれ(千載集)
歌意「春の短い夜に見る夢のように、小さなお戯れで、すっと差しだされたのは貴方の腕枕。実際、貴方に恋をしたわけでもないのに、きっと噂に立つであろう貴方と私の浮名が、惜しく思われますことよ」。何やら妖艶な雰囲気の一首のように見えますが、実は本当の男女の情愛の場面を詠ったものではなく「春の夜のお戯れ」なのです。
作者は周防内侍(すおうのないし)平安後期の女流歌人です。どんな場面でこの歌を詠んだかといいますと、およそ以下の通りです。「旧暦2月(だいたい今の3月)月の明るい夜、二条院には多くのやんごとなき人が集い、物語りなどしながら楽しく過ごしていました。身分の高い女性は、もちろん御簾(みす)のなかにいます。周防内侍も御簾のなか。ふと眠気を覚えて、枕はないかしらと小声でつぶやくと、それを耳ざとくとらえた大納言(藤原忠家)が、では我が腕を手枕になされませ、と御簾のうちへ腕を差し入れた。なんというお戯れ。ならば、こちらも戯れ歌でお返し申しましょう、ということで詠んだ歌」。
要するに、身分の高い男女が集う王朝サロンで、ひとりの貴公子が、そこに侍る女房(人妻のことではなく、宮中に住む身分の高い女官です)の言葉をきいて、からかいの手を御簾に差し入れるという、なんとも苦労知らずのボンボンがやりそうなイタズラに、機知に富んだ歌でさっと返した女流歌人の頭の良さが光る一首ですね。
「かひなく」は恋無くと腕(かひな)の掛詞で、ともかく本気の恋愛ではなく「遊び心」の歌です。ちなみに大納言忠家は、外戚でありながら帝さえさし置いて「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」と大吟した太政大臣・藤原道長の孫ですから、おんば日傘で育てられた坊ちゃんであるのは、本人の責任とは言えないかもしれません。
平安王朝期の和歌や物語は、こうした貴族文化の華やかさと、庶民の生活苦など微塵も思わぬ超越性のなかで育まれました。それを今日の私たちが是非で論じる必要はありませんが、こうした点から、平安王朝文学に「もののあはれ」はあっても「無常観」がないと言われるのは致し方ないことでしょう。「驕れるもの久しからず」の中世に至って、人はようやく無常観を切実に感じることになります。
読者の皆様は、いかがでしょう。私は、もちろん『源氏物語』を生んだ平安文学が大好きですが、和歌の好みでいうなら「古今集」より鎌倉期の「新古今」のほうが好みの歌が多いようです。やはり枯淡や幽玄といった美意識は、中世の和歌によく合っているように思います。もちろん、平安時代の人々だって、人間として苦しむ真剣な恋愛をしたはずですから、そちらも捨て難いとは思いますが。
では、ボンボンの忠家に代わって、周防内侍どのに返歌ひとつ献上します。
たはむれの名を借りてこそ伝ふらめ恋の腕(かひな)に二手はあらじと
(敏)
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