「一石二鳥」と言うように、石を投げたら二羽の鳥が落ちてきたという逸話がありますが、中国では弓矢を使っていたようです。
長孫晟(ちょうそんせい)は、南北朝時代(420-589年)の戦略家であり弓の名手でした。趙王の娘の千金公主が突厥族の沙鉢略可汗に嫁ぐにあたり、長孫晟は護衛を申し付けられました。その際、射手の腕を王に見初められ、特別な主賓として1年突厥(とっけつ:テュルク族の遊牧国家)に滞在することになります。そして、国王のお伴として狩りにでることもありました。
ある日、二羽の鷲が餌を取り合っていました。国王は二本の矢を長孫晟に渡し、一羽ずつ矢で射るように言いました。長孫晟は注意深く一羽の鷲に照準を合わせて、矢を放ちます。驚くべきことに、一本の矢で二羽を射抜き、半分の努力で事を済ませてしまったのです。なんと効率の良いことでしょう。成語の「一箭双雕」は、これが由来です。
(神韻芸術団フェイスブックより)
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