≪医山夜話≫ (64)

二つの実例から見る漢方医学の一体観

20世紀後半の80年代に、私は同じ漢方の処方で二人の患者を治療したことがあります。この二人は、それぞれ眼科と肛門科の病気を患っていました。二つの病例の成功例から、私は漢方医学の奥深さとその一体観の重要性を認識しました。

 症例1のAさんは女性で、20代後半です。目がかすんだり、目の中が濁ったりする(現代医学では「白内障」と称する)症状が見られました。2回ほど眼科で治療を受けましたが好転せず、濁りはさらに増えて面積が大きくなる傾向にありました。2週間後、眼科で手術することになっていましたが、失敗による失明を心配し、とりあえず漢方治療を試めしてみようと診察に来られました。

 この患者は声が低く、顔面蒼白、疲れやすく、いつも眠くて話す元気もなく、体を動かすのもつらいと言います。舌は軟らかくて色が薄く、苔は薄く、脈は遅くて細い。これは中気(脾胃の気)不足の典型的な症状です。目の中に濁りが出るのは、中気が沈んで清陽が昇らず、肝に栄養が足りないからです。中気を補って清陽を引き上げれば濁りが消えて、手術をする必要がなくなるかもしれないと思いました。そこで、私は「補中益気湯」を処方し、肝を養う薬も少し加えました。服薬3日後、再診に来られた時、濁りの数は減り、面積が小さくなり、患者の視力も大いに好転しました。更に同じ処方を2日分与えました。薬を飲んだ後、濁りは完全になくなりました。手術予定日まであと4、5日あったので、患者は自ら眼科に赴き、手術の予約を取り消しました。

 症例2のBさんは男性で、30代。長年に悩まされており、痔が肛門外に脱出した時は、体を動かすことも辛くなり、痔が戻るまで静かに休むしかありません。睡眠不足で、頭がぼうっとし、目がかすみます。夏には雨の後にいっそう症状が強くなります。病院から手術で切除するよう勧められましたが、患者は漢方薬の効果を試してみようと私を訪ねてきました。

 彼は顔色が暗くて艶がなく、声は無力で四肢の動作は鈍く、よく食べても筋肉にならず、よく寝ているのに疲れが取れません。舌苔が白くて少しねばねばし、脈は弱い。この病気は、陰がまず損なわれて、腎陰不足になっており、肝を養うことができないため、肝の陽気が過剰に昇り、それによって頭がぼうっとし、目がかすむ症状が現れたのです。また肝の不調により脾を傷め、従って食べても体が丈夫にならず、気血がともに弱くなってしまう。一方、血が弱まれば安眠できず、気が弱まれば固摂できず、さらに脾が弱まれば水湿の代謝が弱くなり、故に湿邪に遭うと痔が脱出してしまうのです。

 中気を補い脾を強め、滞っている気の流れを調節すれば、きっと効果があると私は思いました。そこで、「補中益気湯」に蓮の実、薏苡仁(ヨクイニン)などを加味しました。すると、その夜1回飲み、翌朝、彼は満面の笑顔で「昨晩の睡眠は格別に良くて、今朝、痔は消えました」と報告してくれました。

 上記の患者二人に同じ処方を使い、ともに良い効果を収めました。なぜこのようにできるのかというと、「辨証論治」の原則をしっかりと守り、肛門科や眼科にこだわらず、全体の体質の状態をしっかり把握したからだと思います。診療科目の細かな分類によって、医者の思考は局部に集中し、逆に全体に対する把握が足りなくなってしまいます。漢方医学にも内科や外科の分類がありますが、それはただ方法の違いで、医者を内科医と外科医に分類する必要はありません。張仲景は内科系の『傷寒論』と『金匮要略』を著して歴史に名を残しましたが、彼は胸を開いて手術することもできたのです。『難経』の継承者・曹原も内外科を兼ねて精通し、胸腹部外科の名医でもありました。華佗が外科手術で有名になったのは、当時戦争が頻発して、外傷患者が多かったからです。今は散逸してしまったのですが、彼が書いた書には内科の方法もあるようです。

 漢方医学の一体観によれば、人体は各部位が互いに関連し、部分の問題は全体の問題でもあり、各部分の相関関係から治療法を見つけることができます。五行と五臓の対応関係、および「五行の相生相克」の原理で臓腑の間の互いの影響を分析し、疾病の病因を把握できれば、良い効果が収められます。この二つの症例に、私は五行理論で臓腑の間の相互影響を分析し、処方を出したのです。

 人体は一つの全体でありながら、周囲の環境とも一つの全体になって互いに影響し合うので、環境の異常な変化は人体の病変を招くことができます。これは『黄帝内経』の中の「五運六気」の基本的な観点です。「天に五行があって、五つの方位(東西南北中)を生み、五つの方位はそれぞれ寒、暑、燥、湿、風を生む。人体に五臓があり、五臓が喜怒思憂恐を生じる」。そのため、人体の感情ないし健康は自然の変化に従うものです。「万物に昇降と出入がある」、「四者(昇、降、出、入)の基本をしっかり守れば長寿となる、基本が乱されると体を損なう」。万物の運行に一定の規則があり、その規則を守れば平安無事で、その規則に背けば「災害を招く」

 それでは、「人体と周囲の環境」の概念の中に、「周囲の環境」はどれほどの範囲を指しているのでしょうか? 「宇宙は広々として果てしなく、五行の運行は万物とことごとく関係しており、盛衰の変化に、損益は相伴う」。この相互の影響は無限に続いています。この相互影響の範囲から跳び出すことができますか? できます。「に同化すれば、真人になれる」。この範囲から跳び出すことができれば、実はすでに「不生不滅」という非常に高い境界に達したのです。そうなるには、修煉を通じて道に同化し、「真人」になる必要があります。

 医者は病気治療を主要な目標としますが、病因、病理、治療について医者は深い理論と教養を求められています。実は、この部分は『黄帝内経』で「道」と称されます。「天道とは、上といえば天文を知り、下といえば地理を知り、中間といえば人の事を知る。それが出来る者は長く生きる」。「天を論ずる人は、天と人間との対応関係を分からなければならず、古代の経験を論ずる人は、現在に応用できることを考えなければならない」。「天の道に従えば、強くなり盛んになり、道に背けば滅び、私利私欲のために、道を無視すれば、必ず天罰を受ける」

 そのため、古代の医学家の最高準則はやはり「道」であり、どんなに小さいことでも道を守って、「道に背く」ことをしてはならず、そうすれば、「災難から免れる」と信じていたのです。これは儒家の聖人、佛道各家の修行者の守る準則と一致しています。聖人は世を治めて医者は人を治療しますが、治療の対象は違えどもその道理は同じです。

 

(翻訳編集・陳櫻華)