チンギス・カンと孤児
テムジンはタタル部族を征服した後、将官たちを連れて陣営を巡回していました。この時、どこからともなく子どもが走ってきて、「エージ(モンゴル語で母という意味)に会いたい」とテムジンの足に抱き着きました。テムジンは、「よし、エージに会わせてやろう」と言ってこの取り残された孤児を抱き上げ、母ホエルンのもとへと向かいます。
この子を見るなり、ホエルンは、「良い家柄の子かもしれない」と言って、その場で養子にし、シギ・クトクと名づけました。
時間は流れ、ある年の冬、豪雪が山を閉ざしたため、寒さを避けるべく、テムジンは領民を連れて他の場所へと移動しました。道中、鹿の群れを見かけたので、当時、まだ15歳だったクトクはテムジンのゲルを管理する者に一言いうなり、鹿を追いかけていきました。
夜、ゲルに戻ってきたテムジンは、どこにもクトクの姿がないため管理の者に尋ねると、この大吹雪の中、鹿を追いかけに行ったことを知り、「凍死したらどうする?!」と怒りました。
ちょうどこの時、クトクが戻ってきて、「30匹の鹿がいたが、27匹を殺した」と興奮しながら報告し、これを聞いたテムジンはその武力に驚くも、鹿を取りに行かせました。
チンギス・カンがモンゴルを統一し、功臣に領地や褒美を分け与えている時、まだ18歳に満たないクトクは、「僕は幼いころから、常に兄上と共にし、何度も戦場に赴き、多くの功績を収めてきました。兄上は僕に何の褒美をくださいますか?」と言います。
豪快で率直に物事を言うのがモンゴル人の性格ですので、チンギス・カンも特にクトクの口出しを無礼だと思わず、「では、おまえに私の目と耳になってもらおう。戸籍を整理し、民の行き先を手配する仕事はどうだ?」と言って、最高断事官(司法長官に相当)の位を与えました。
クトクは公正であることで知られ、いかなる時も事実に基づき、事情聴取の際も相手を恐喝したりしません。その断案の方法に、チンギス・カンでさえも感心し、クトクが下した判決や調査などを参考書物としてまとめさせ、代々受け継いでいくよう特別に命令を下したのです。
(つづく)
(翻訳編集:華山律)
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