「光彩奪目」という四字熟語は『世説新語・汰侈』から由来し、とても鮮やかで、目を見開いて見とれるほど美しいという意味です。
西晋王朝の時、石崇というお金持ちがいました。県令(県知事)を務めたこともあれば、武帝の侍従官になったこともあります。51歳の頃、荊州の刺史(州の長官)に就き、就任中、通行する商人への官兵による強奪や財宝の略奪を黙認していたため、西晋時代の有名な大富豪となったのです。一方、当時の将軍・王愷(武帝の母方の叔父)も名の通った大富豪です。
両者は一番のお金持ちの称号を争い、最も煌びやかで豪華な財宝を馬車や衣装の装飾に使いました。
このことを知った武帝はよく王愷に珍しい宝物を授けました。
ある日、武帝は高さ約60cmの、たくさんの枝を生やしたサンゴ(熱帯の海に生息しているため、古代中国では非常に珍しいものとされた)を王愷に授けました。
王愷はこのサンゴを石崇に見せて自慢しますが、なんと石崇はハンマーを手に取って、サンゴを砕いたのです。怒った王愷は、武帝から授かったことを石崇が妬んでいると言い、弁償を要求したところ、石崇は平然とした態度で、「このようなもの、いくらでも弁償してやるさ」と言って、使いの者に命じて、倉庫からサンゴを運び出させます。
一気に何十ものサンゴを目の前に並べ、中には高さ1mを超えるものや、たくさんの枝を生やしているものなど、色とりどりでどれも王愷が持ってきたサンゴより素晴らしいものです。これを見た王愷はショックを受け、何も話せず、ひどく落ち込んだのでした。
(翻訳編集:華山律)
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