チンギス・カンーー勇士を引き付ける魅力(下)【千古英雄伝】

時は流れ、ジュルキン氏族という部族が新たにテムジンが率いるモンゴル部に加盟しました。宴会の間、テムジンの弟・ベルグテイは遊牧民の重要な財産である馬を巡視していました。ジュルキン氏族の者が窃盗を働いているのを見かけて、その場で逮捕しました。

しかし、ジュルキン氏族の首長は部下を匿い、ベルグテイと言い争いになり、その間、ベルグテイの肩を刀で傷つけてしまいます。正史によると、ベルグテイはこのことをテムジンに言いませんでしたが、出血が止まらなかったため、結局はテムジンに知られてしまいました。

ベルグテイは諸部落が加盟するこの大事な時期にトラブルを起こしたくないので、テムジンにここは我慢するようにと進言しました。確かに諸部落との仲たがいをしてはいけませんが、罰するべき者にきちんと罰を与えることも大事なので、テムジンは木の枝を折って、過ちを犯した者を打ちました。

タタル部族はかつてアンバガイ・カン(モンゴル部ボルジギン氏モンゴル国の第2代カン)を裏切り、アンバガイはその後、木馬に釘打ちの刑に処されました。また、テムジンが9歳の頃、父親のイェスゲイもタタル部族によって殺されたため、モンゴル部とタタル部は代々の敵となりました。

タタル部を討つために、テムジンは義理の父であるオン・カンに助けを求め、同時にジュルキン氏族に出兵を要請しました。しかし、ジュルキン氏族は族人がテムジンに罰せられたことを妬んで、参戦を拒否したのです。

テムジンはオン・カンとともに軍を率いてタタル部族を打ち破りましたが、タタル部族はテムジンの留守中を狙って、陣地を略奪したのです。このことを知ったテムジンは大いに怒り、ジュルキン氏族を討ち、2人の首領を生け捕りにし、かつての誓いを裏切った罰として、首を切り落としました。

当時、モンゴル部では、テムジンを戴くキヤト氏を中心とする勢力と、タイチウト氏を中心とする勢力が内部抗争を繰り広げていました。タイチウト氏のシルグエトゥは2人の息子アラクとナヤアを連れてテムジンに帰順しようとして、タイチウト氏の有力者タルグタイ・キリルトクを捕虜として、テムジンに忠誠を誓おうとしました。

しかし、ナヤアは、「テムジンは裏切り者を嫌っているので、タルグタイを連れて行っても、『主君を手に掛けた者』として我々を処罰するだろう。むしろ、タルグタイを釈放し、テムジンに忠誠を誓うほうが良策ではないか」と言いました。

そして、シルグエトゥはタルグタイを釈放し、テムジンにこのことを伝えます。ことを知ったテムジンはナヤアを賞賛し、自分の部下にしました。

ナヤアは生涯チンギス・カンに忠誠を誓い、口下手で、誤解された時も弁解しませんでした。赫々とした功績を持っているにもかかわらず、影のように常にチンギス・カンの背後に経ち、君主を支えてきました。

戦争の世の中で、この温厚で誠実な男は120歳と非常に長生きし、モンゴル帝国著名の長寿の人となりました。

(完)