東京大学医学博士であり、経験豊富な中医師である劉冬梅医師は、かつて学生のインターシップの指導をしながら病院で臨床実習を行っていました。あるとき、68歳のスペイン語学科出身の男性患者が、突然の息苦しさと胸の圧迫感を訴えて入院しました。診断名は「原因不明の急性呼吸困難」。血中酸素濃度は92%と低く、しかし胸部X線には肺炎などの感染の兆候は見られませんでした。
詳しく話を聞くと、この男性は1か月前に妻を亡くし、深い悲しみに沈んでいたといいます。発作の3日前から急に呼吸がしづらくなり、息を吸うことはできても吐くことができず、胸の上に重いものがのしかかって息が詰まるような感覚に襲われたとのことでした。
劉医師は学生に説明しました。「中医学では『悲しみは肺を傷つける』と言います」すると学生が「喜びは悲しみを制する」と補足し、患者に対して、少しでも楽しい出来事に触れて心をほぐすよう勧めました。患者はその言葉に深くうなずき、家族の支えや孫の笑い声に癒やされて、症状は次第に改善。2週間後、劉医師が再び病室を訪れたときには、すっかり元気を取り戻し、退院の準備をしていたそうです。
中医学から見た「肺」とは
肺は気管や喉、鼻とつながっているため、気候や環境の変化に最も影響を受けやすい臓器とされています。肺の働きが弱まると、咳や痰、息切れといった症状が現れます。ニューヨーク北部医療センターの総裁・楊景端医師によると、中医学における「肺」は単に呼吸器としての役割にとどまらず、体液のバランス調整、免疫反応、さらには感情の健康まで関係しているとのことです。
肺と体液のバランス
中医学では「肺は水道を通調する」と言われます。これは、肺が体内の水分循環を助ける役割を持つという意味です。肺は「津液」と呼ばれる体液を全身の皮膚や毛穴に行き渡らせ、肌の潤いと防御機能を保ち、さらに発汗によって体温を調整します。
もし肺の働きが弱まると、水分が体に滞り、むくみや痰の増加を招きます。逆に肺が乾燥しすぎると、口や鼻の乾き、肌のかさつき、乾いた咳といった症状が起こりやすくなります。
肺と免疫反応
中医学では「肺は気を主り、呼吸をつかさどる」とされています。肺の「気」が充実していると、「衛気」と呼ばれる体を守るエネルギーが全身に行き渡り、毛穴を引き締めて外からの邪気(細菌やウイルス)を防ぎます。皮膚も肺の支配下にあり、外的刺激から身を守る第一の防御壁と考えられています。
現代医学の観点から見ても、肺は多くの免疫関連疾患の中心的な舞台です。たとえば、喘息、アレルギー性鼻炎、慢性閉塞性肺疾患などは、免疫反応のバランスが崩れることによって起こるとされています。また、肺炎や新型コロナウイルス感染症のような肺の感染症も、全身の免疫系に大きな影響を及ぼすことが知られています。
肺と感情の健康
中医学では「肺は志において憂に属す」と言われ、肺は「憂いや悲しみ」と深く関わる臓器とされています。肺の「気」が充実していれば心は安定し、感情のバランスも保たれますが、肺気が弱まると心の調子も崩れやすく、悲しみや不安、憂うつといった感情が現れやすくなります。
実際、呼吸器系の病気を抱える人は、感情の乱れを経験することが少なくありません。ある研究では、重度の喘息患者55名のうち、49%が不安症、31%がうつ症状を併発していたことが報告されています。
その一方で、感情を整えることが肺の健康を助けるというのも中医学の教えです。古くから「常に笑えば肺を宣す」という言葉があり、笑うことで胸の筋肉が広がり、胸郭が開き、肺活量が増します。人は笑うと自然に深呼吸をし、呼吸道の空気を入れ替えるため、呼吸がよりスムーズになります。笑いは、まさに「心と肺のストレッチ」なのです。
肺は「皮毛」を主る —— 肺を養うことは、美しさを養うこと
西洋医学では肺は呼吸のための臓器とされていますが、中医学ではその範囲をもっと広くとらえています。中医学における「肺」には、鼻や気管、肺そのものだけでなく、皮膚や毛髪も含まれます。これは「肺主皮毛」という考え方に基づくもので、肺の気の状態が肌や髪の健康に直結するという意味です。皮膚は外界からの邪気を防ぐ第一の防御壁とされており、慢性湿疹、じんましん、アレルギー性皮膚炎などの患者に対して、中医師は外用薬だけでなく、肺の働きを整える治療を行うことで、内側から肌を整え、根本から健康を回復させることを重視します。
🩺 肺と体の健康の関係

五行にみる「肺を養う」知恵
中医学の「五行」理論(木・火・土・金・水)によれば、肺は「金」に属する臓器とされています。金属は硬く、落ち着いており、冷えると収縮する性質があります。人体においても、肺はこの「収斂」の働きを担い、汗の調整や呼吸のリズムを整える役割を持っています。
🌾 五行学説における肺

肺を養う食養生のすすめ
中医学では「肺は潤いを好み、乾燥を嫌う」と言われています。したがって、秋の食養生では、潤いを補い乾きを防ぐ「滋陰潤燥」を基本とし、体内の津液を満たす食材を多く摂ることが大切です。具体的には、口当たりがなめらかで、ゼラチン質や粘り気のある食べ物がすすめられます。
中医理論によると、五臓はそれぞれ五色に対応しており、その中で肺は白色に属します。 そのため、肺を養うには白い食材を選ぶのがよいとされます。たとえば、ナシ、ゆり根、やまいも、れんこん、蓮の実、白きくらげ、マッシュルーム、大根などです。
呼吸免疫力を高める良方 —— 玉屏風散
呼吸器の免疫力を高めるにはどうすればよいか。桃園の慈航中医診所の李応達医師は、エポックタイムズの取材に対し、古典的な名方である玉屏風散(ギョクヘイフウサン)を特にすすめています。
「玉屏風散」という名は、その効能が「玉」のように貴く、「屏風」のように身体を外からの風邪から守ることに由来しています。この方剤は、黄耆(オウギ)・白朮(ビャクジュツ)・防風(ボウフウ)の三つの生薬から構成され、気を補い、体表を守る作用があります。つまり、エネルギーを高め、防御機能を強化する働きがあり、体力が弱く風邪をひきやすい人や、アレルギー体質の人によく用いられます。
中医学では、黄耆には「補気養血」の効能があり、身体の「正気」を充実させるとされています。現代の研究でも、マウス実験の結果から、黄耆多糖には肺の線維化を軽減する効果があることが示されています。
玉屏風散は、肺を養いながら免疫力を高めるだけでなく、脾胃(消化器系)を整える作用もあります。李医師は「脾胃の働きが正常であってこそ、身体は薬や栄養をしっかり吸収でき、免疫力を高める効果もより大きくなる」と説明しています。
玉屏風散の服用方法
黄耆6g、白朮6g、防風3gを粉末にし、200mlのぬるま湯で服用します。
一日2回が目安です。
李医師によると、日常の健康維持を目的とする場合は、三種の薬材を粉末にしてぬるま湯で飲む方法が家庭でも行いやすく、穏やかな薬性のため予防や体質改善に向いているといいます。一方、伝統的な煎じ薬として使用する場合は、薬効の発現が早く、分量も多くなります。この方法は治療目的に用いられるため、患者の体質や症状に合わせて中医師が処方します。
李医師はまた、次のように注意を呼びかけています。「玉屏風散は、体質が弱く風邪をひきやすい方、またはアレルギー性鼻炎の方にとても有効ですが、急性の風邪をひいている最中には使用しないでください。外邪に侵されている状態で補気薬を飲むと、かえって症状を悪化させるおそれがあります」
パンデミック以降、呼吸器の健康が大きな関心を集めています。中医学では、肺は呼吸の中心であり、身体が外界と接する第一の防御線とされ、免疫力と密接に関係しています。そして、秋は乾燥が強まる季節であり、まさに肺の機能を高め、養うための最良の時期です。潤いを与える食材を摂り、心を穏やかに保ち、呼吸を深く整えることで、季節の変化に負けない健やかな身体をつくることができます。
(翻訳編集 華山律)
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