【大紀元日本9月28日】
月落烏啼霜満天 月落ち烏啼いて 霜天に満つ
江楓漁火対愁眠 江楓漁火 愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺 姑蘇城外 寒山寺
夜半鐘声到客船 夜半の鐘声 客船に到る
中唐の詩人・張継(ちょう けい)の代表作「楓橋夜泊」の一首である。張継の詩は47首ほどが残されているが、この一首だけが有名であり、蘇州の観光地では拓本の土産物になって売られているせいか、日本人にもよく知られている。
江蘇省蘇州の西郊、楓江という川に封橋という橋があったそうだが、この詩が有名になったため、いつしか楓橋に改められたという。季節は、夜の冷気が感じられる晩秋であろう。
その江上の船に泊まって一夜を過ごす作者の目に見え、耳に聞こえてくるものの全てが、言い知れぬ旅愁となってこの詩を包んでいるのである。
月の落ちた夜更け、どこかで烏が啼いた。烏は夜中に鳴くこともあるので不自然ではない。むしろ、はるか遠いその声が聞こえてくる夜の静寂に、作者の意識は向けられていると見てよい。わが芭蕉翁も、「閑かさや岩にしみいる蝉の声」と山形の立石寺で詠んだ。それは全山を包む「閑かさ」を表現したのであって、蝉の声の騒がしさを言いたかったのではない。
さて次の「霜天に満つ」について、多くの解説書では「厳しい霜の気配が天に満ちている」という説明になっているのだが、どうだろうか。
ここは単純に、昔の夜空はどうだったかということを考えてもいいのではないかと思うのだ。夜が更けて月が落ちれば、雲がかかっていない限り、銀の粉を振りまいたような満天の星が輝く。プラネタリウム以外で現代の私たちが星空を目にする機会はなくなったが、それが本来の自然の姿ではなかったか。その満天の星を直接的に表現した詩語が、「霜天に満つ」であると考えてはいかがだろう。
岸辺の楓は紅葉の色。川面には漁火がちらちらと揺れる。折りしも、蘇州郊外の寒山寺の鐘が鳴り、その音が旅の身である私のいる船にまで聞こえてきた。
もはや解説なしで詩を味わいたいのだが、この詩の場合は後日談がある。唐から時代が下った北宋のころ。大学者・欧陽修が「夜中に鐘を打つのはおかしい」と批判したため、議論紛々となったのである。
結局、夜中に鐘が鳴っている唐詩の例がいくつもあったことが判り、唐の時代は夜も鐘を打ったのだということで一件落着したらしい。
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