【大紀元日本10月20日】
はじめに
近年、毎年春になると中国の黄砂が韓国や日本に飛んでくる。激しいときは太平洋を越えて、地球の反対側のアメリカにまで飛んで行き、全世界に迷惑をかけている。この問題を解決する為に、韓国は毎年中国に行って植樹し、日本は中国に黄砂観測所を建てる予定だとの噂が流れている。しかし、それで根本的な問題解決ができるだろうか。草原砂漠化の根本的な原因は何か、また韓国と日本が中国のためにやっているこれらことが、本当に問題を解決できるかどうかということを、まず知るべきである。
草原は、一般的に想像されているような果てしない平原ではない。山もあれば川もあり、森林があれば砂漠もあり、芝生もある。様々な野生動物もいれば、地下には石炭、銅、鉄、鉛などの鉱物もある。これらすべてがバランスを取りながら存在してこそ、初めて完全な草原になる。しかし、草原の主人はあくまでも人間であり、これらのものは人間のために存在するもので、人間が利用しても大きな問題は起こらないはずだ。ただし、無制限に使ってはいけないのである。
草原自体は再生能力があり、草原でバランスが崩れても、しばらく経てば自然に正常な状態に回復する。草原が砂漠に変わるということは、そんなに簡単なことではない。内モンゴルの大きな草原を今の状態になるまで破壊したのは、決して一人や数人の力、あるいは一つの政府がある時期において、具体的な政策が間違ったからそうなったわけではない。それは、長期的かつ計画的に、全体的に破壊され続けて、初めて起こったことである。
では、中国の草原砂漠化の根本的原因はいったい何だろうか。私は自らの経験を書き出して、皆さんと一緒にその問題を考えていきたい。
農業に適さない草原の土地
数千年来、草原に住んできたモンゴル人は遊牧生活を営み、彼らには決まった住宅がなければ、村もなく畑もなかった。かつては草原の土地を開墾したことがほとんどないため、草原の土地の見た目は問題なさそうにみえる。しかし、問題ないのは地表10センチぐらいに過ぎず、それより深くなると全部砂である。モンゴル人はこのことを十分知っているため、数千年来、誰も土地を開墾したことがなかった。開墾しないだけでなく、それを保護しているのだ。
このようなことは、つい最近モンゴルに入って居住するようになった農民たちには、全く分からない。私はモンゴルで生まれた農民の後代だが、今になって振り返って見ると、確かにその通りである。モンゴルの土地は開墾してはならない。開墾しても、3年が過ぎると砂漠になってしまう。いったん砂漠になると、元の状態に戻るのに多くの時間がかかり、甚だしきに至っては永遠に回復できない。
1971年、われわれは内モンゴル東部の草原に16世帯しかない小さな村を建てた。あの時、中国は社会主義制度を実施しており、村のことを生産隊と言い、農業生産は集団で行い、村が何を生産するかは、すべて生産隊が決めた。その年、生産隊は村の南側で大量のカブを植えた。最初の年はカブがとても大きく育ち、水分も十分だがとてももろく、素手で割ることもできた。翌年から小さくなり、3年目にはとても小さく、大人の拳ぐらいの大きさで水分も少なくて辛く、しかもほとんど虫が食っていた。西瓜も同じく、1年目はとても大きく育ったが、3年目はダメになった。他のものも同じく、3年経つとダメだった。
ダメになれば場所を変えて植える。周囲にあまり人がおらず、空き地はいくらでもあるので場所を変えるのは難しくない。政府も場所を変えて生産するよう勧めたが、その理由は科学的に農業生産をするということであった。1ヶ所で長期的に生産すると、土地がすぐに不毛になるので、数年生産した後、また数年回復させなければならない。このように、数年のうちに村周辺の土地はほとんどひっくり返されてしまった。しかし、ひっくり返った土地はそれから永遠に回復せず、一部はすでに砂漠化してしまった。
あの時、モンゴル人はあまり農業生産をしなかったが、後になって、特に1980年代の「改革開放」政策が実施されてから、多くのモンゴル人が農業生産に携わり始め、現在は完全に、農民になってしまった。
過度の薬草採集
内モンゴル草原には、たくさんの薬草がある。例えば、甘草、黄芪、防風、花根、桔梗、知母、龍胆草など。私は中学生の時、夏休みにはいつも山に行って薬草を掘り、学費や食費を稼いだ。あの時、田舎には私のような学生がたくさんいた。夏休みには薬草を掘り、冬休みには乾燥した牛糞や乾草を売ったりした。
数年経つと、村周辺の薬草はほとんどなくなってしまった。薬草は群れを作って成長するため、一群が見つかると広い範囲が穴だらけになる。大きい薬草が見つかると、それを掘るのが楽しくなる。大きい甘草や花根のような薬草は、一つ掘るためにとても大きな穴を掘らなければならない。特に甘草は沙質の高いところで成長し、普段は地下50センチぐらいの所で、横に5、6メートル伸びていくため、一つ掘るには穴を大きく掘らなければならなかった。黄芪(おうぎ)や桔梗(ききょう)のような薬草は、穴を大きく掘らなくても良いが、群れをつくっているため、広い面積を掘らなければならない。知母(ちも)は地表面を横方向に成長するため掘る必要はなく、地表面を剥がせばよかった。
果てしない草原で、たった1つの小さい穴があっても何の問題にもならないが、広い範囲で穴がある時は無視することができない。大量の穴は動物の生活環境を破壊することにもなる。あるモンゴル人の馬飼いから、次のような話を聞いたことがある。「昔、ウサギやキツネ、狼などの野生動物を捕る時、銃を使わずに馬で追ったが、今は馬も全速で走れない」
冬に馬車で薪を運んで来る時は、馬車の車輪が薬草を掘った穴に落ちないように、一人が前で道を確認しなければならないという。穴に落ちてしまったら、抜け出すのは難しいからだ。
(続く)
高峰一(コウ・ホウイツ)
著者略歴:
内モンゴル生まれ。1989年に延辺大学修士を卒業し、その後8年間、地元で環境保護の仕事に携わる。1997年に来日し、2003年、東京工業大学博士課程を修了。現在、日本企業に勤務。
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