太陽光パネルの緑の幻想 農地を奪い環境と人権を壊す現実

2025/08/13 更新: 2025/08/13

論評

多くの見出しが、イタリアが生産性の高い農地での太陽光パネル設置を禁止する最近の決定を称賛している。一方で、「太陽光パネルは再生型農業を支援できるのではないか」と疑問を抱く声もある。実際、地上設置型パネルの下で羊を放牧する事例も存在している。

しかし、誤解してはならないのは、太陽光パネルは万能薬ではなく、現在の代替エネルギーの形態で何かを「解決」できているわけでは全くない。

筆者はテキサス州中央部に住んでいる。ここ地方郡には規制がほとんどない。正直なところ、筆者がここに移り住んだ理由の一つでもある。しかし、独立精神が根強いこの地でも、静かな「侵食」が進んでいる。

太陽光発電所が、動物との共生や多様な農業システムとの統合を伴わず、食料生産を完全に置き換える形で、良質な農地に次々と建設されているのだ。これは進歩ではなく偽装された後退だ。

筆者の活動を追ってきた読者なら、地元の食料システムが国家安全保障に関わる問題だと考えていることをご存じだろう。農地は橋や道路、送電線と同様に重要なインフラとして扱うべきだ。それにもかかわらず、最良の土地が金属とガラスで覆われ、ヒートアイランドを生み、野生動物を追いやり、コミュニティの食料供給に何の貢献もしていない。 

さらに問題は悪化する。ソーラーパネル自体は受動的かもしれないが、設置プロセスは全くそうではない。建設中の埃を抑えるため、企業は化学的な防塵剤を散布するが、その多くは、保護すると主張する土地や水を汚染している。実際、一般的に使われる防塵剤には塩化マグネシウムや塩化カルシウムが含まれることが多い。これは近隣の池に浸透して塩分濃度を上昇させ、魚類や植物、家畜に有害な水質に変えてしまう恐れがある。

 土地利用の問題にとどまらず、太陽光パネルの製造そのものにも大きな代償が伴う。コンゴ民主共和国のコバルト鉱山における児童労働、環境破壊を伴うリチウム採掘、レアアース精錬による有害廃棄物の発生などだ。パネルの組み立ての多くは中国で行われており、劣悪で搾取的な労働条件や、一部地域における強制労働の懸念が依然として存在する。

グリーンエネルギーを支えるサプライチェーンは、人権侵害と環境破壊にまみれている。進歩の名の下にその負担をアウトソーシングすることが、どうして倫理的、あるいは持続可能と言えるのか?

 中国で強制労働の対象とされるグループには、法輪功学習者や、新疆地域に主に住むイスラム教徒の少数民族であるウイグル人が含まれる。これらのグループや他の少数民族は、「再教育」という名目で大量収容所に拘束され、国有の労働キャンプに移送されている。多くは、太陽光パネルの主要素材であるポリシリコン製造を含む、世界の太陽光発電サプライチェーンに結びついた工場での労働を強いられており、こうした製品はアメリカを含む国際市場に流通している。 

さらに、中国の農村からの出稼ぎ労働者や囚人でさえ、劣悪な環境で賃金を差し引かれながら、透明性に乏しい形で強制的に働かされる場合がある。 

「もしあなたのクリーンエネルギーが児童鉱夫や強制労働者に依存しているのなら、それは本当にクリーンなのか」――この問いを投げかける時期に来ている。

筆者の知人である牧場主の中には、かつて家畜の水源だった池(テキサスではタンクと呼ぶ)を、汚染のために利用できなくなった人がいる。夢のマイホームを田舎に建てた家族が、今や太陽光パネルと化学物質の飛散に囲まれて暮らしている例もある。これのどこが「グリーン」なのか。

 これは個別の例ではない。アメリカ各地から、家畜の中毒死、生態系の破壊、涸れた小川、失われた生計手段といった報告が相次いでいる。皮肉なことに、この「緑の革命」は生命維持に不可欠な土地と水を破壊しているのだ。

これが本当に環境の進歩なのか。これが我々にできる最善策なのか。

太陽光パネルには寿命があるが、多様な生態系にはそれがない。風力タービンもいずれ摩耗するが、健全で回復力のある土壌は、適切に管理すれば年々育まれる。気候変動、土地劣化、食料不安の解決策は、さらなるパネルではなく、さらなる植物、さらなる動物、さらなる生物多様性だ。

 その仕組みはこうだ。植物は大気から炭素を吸収し、それを炭水化物に変えて土壌の微生物を養う。動物は尿や排泄物、唾液を通じて微生物の多様性を高める。動物を日々移動させ、捕食者のプレッシャーを模倣することで、草原は再生され、表土は回復し、水循環は改善される。これは理論ではなく、古代からの知恵が現代の生態学によって裏付けられた事実だ。

しかし、再生型農業は太陽光や風力のように巨額の利益を生むことはない。なぜなら、それは中央集権的な利益構造ではなく、地域密着型で、時間をかけ、人と自然が直接関わる営みだからだ。人間が自然と共存し、つながり、謙虚になることを要求する——自然を出し抜こうとするのではなく。

 現在の形のグリーンエネルギーは、破滅的な結果をもたらす詐欺に等しい。それは、人間であるという「罪」を償う救済の物語を売り込んでいる。しかし、真実はこうだ。人間であること自体が問題ではなく、自然界における自らの立ち位置を忘れることこそが問題なのだ。

 気候と土地利用について語り、本物の回復力を重視するなら、幻想への補助金をやめ、現実に投資し始める必要がある。太陽光発電所は我々を養わない——再生型農場が養う。 そして、進歩の名の下に池や牛を毒する時、美徳ではなく、盲目を露呈するだけだ。

再生型農業と牧畜に取り組む農場主。食の主権、土壌の再生、そして自給自足やホームステッド(自立型生活)の教育に力を注いでいる。
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