【大紀元日本2月28日】
「福島、医師の流出止まらず 大学、原発事故で派遣も敬遠」(共同通信、2012.2.16)
3.11の原発事故以来、福島県では医師の流出に歯止めがかからず、特に、原発に近い沿岸部の相双地域では、常勤医の数が震災前の120人から61人に半減し、医師不足が問題となっているようだ。また、放射線への不安から首都圏などの大学も医師の派遣を「敬遠」しているという。医療機関が正常に機能しなくなった場合、復興の遅れにもつながりかねず、深刻な問題と言えよう。
「敬遠」とは『論語』の次の下りから生まれた言葉だと言われる。
孔子の弟子・樊遅(はんち)が孔子に知恵とはどういうことかと尋ねると、孔子はこう答えた。「人としての務めを行い、【死者の霊魂については、それを敬いながらも遠ざける】、それを知恵という」(論語・雍也第六より)
この下りの【 】の部分の原文が「敬鬼神而遠之」(鬼神を敬いてこれを遠ざける)で、現代中国語ではそれが縮まって「敬而遠之」と四字熟語で使われる。いずれにしても、うわべは敬いながらも実は遠ざけて関わりを持たないようにするという意味である。
一方、日本語ではそれがさらに凝縮されて、「敬遠」という二文字熟語となった。その意味するところは、一つには中国語と同じく「敬いて遠ざける」で、「あの上司は口うるさいので、部下から敬遠されている」のように使われる。
ただ、日本語では、もはや「敬」の意味を含まず、ただ単に「遠ざけて避ける」の意味で使われることも多い。冒頭例がそうである。
では、野球で投手が打者との勝負を避ける「敬遠」はどうか。1992年の甲子園大会で、高知の明徳義塾・馬淵監督が対戦相手の星稜高校(石川)の松井秀喜対策として5打席連続敬遠の指示を出した。高校野球らしからぬとして多くの批判を浴びたが、その馬淵監督が後日「人を敬うからこそ敬遠なわけです」と語っている。
(瀬戸)
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