日本人の大好物の1つである「餃子」は中国の東漢時代に由来し、当時の名医・張仲景(ヅァン・ゾンジン)が創案したものである。それは元々形が耳に似ていることから、当時「嬌耳(ジャウ・ア)」(可愛い耳)と呼ばれていた。
餃子を作った張仲景はどんな難病でも治すことができる優れた医術の持ち主であり、民衆から聖医と呼ばれ、道徳家でもあった。張氏は、貧困層に対しても富裕層に対しても真面目に診療を行い、多くの命を救った。疫病が流行ったある年に、張氏は勤め先の政府庁舎前で、大きな釜を設置し薬を煎じて多くの民衆を救ったため、民衆の敬愛を得ていた。
張仲景が引退後、故郷に帰ったが、歯を食いしばって飢えと寒さを忍ぶ多くの貧しい民衆の耳が凍傷になった悲惨な状況を知り、民衆を助けることを決心した。多くの患者が治療を求めに来るため、張氏は多忙な毎日を送った。張氏は飢えと寒さを忍び耳が凍傷に冒された民衆のことがどうしても気がかりであった。張氏は河南省南陽の東関の場所で、以前と同様に簡易診療所を設け、大きな釜を設置した。貧困層の人々を治療し薬を与え始めたのが寒い冬至の日だった。
張仲景が釜で作った薬は「去寒嬌耳湯(身体が暖まる餃子スープ)」と言い、羊肉や唐辛子それと一緒に生薬を釜で煮込み、出来上がった中身を取り出して細かく切ってから、小麦粉で出来た皮で包んでからさらに煮て、薬膳餃子を作った。2つずつの薬膳餃子とスープをとった患者たち全員、身体が温まり血色が良くなり、凍りついた耳も暖かくなったという。そして、暫く薬膳餃子を食べ続けた患者たちの耳の凍傷も回復した。
張氏は薬膳餃子を大晦日まで民衆に配り続けたことから、人々は新年と共に耳の凍傷の回復をも祝った。後に、人々は張仲景が貧しい人々を助けたことを記念するために、薬の「嬌耳湯」を真似て、「餃耳(ジャウ・ア)」または「餃子(ジャウ・ツ)」と呼んだ。毎年冬至から元旦までの間に餃子を食べる習慣は今もなお受け継がれている。餃子といえば日本では焼き餃子が一般的だが、中国では水餃子が主に食される。
あれから千八百年が経ち、張仲景が薬膳餃子で多くの人を助けたことは今でも中国の民間に広く伝えられている。さて、私たちが餃子を食しているとき、はたして何人の人たちが古い昔に餃子が薬として多くの人を助けたという事柄に考えが及ぶのだろうか?
(2010年1月24日の記事を再掲載いたしました)
(翻訳編集・豊山)
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