ヨーロッパとアジアの大陸にまたがるジョージアという国は、国名の英語発音が、ジョージという人名の発音に似ています。この国の守護神である殉教者・聖ジョージを記念するため、ジョージアという国名が付けられたとされています。また、ジョージアの国章にも竜退治をする聖ジョージが描かれています。
一つ興味深い史実として、聖ジョージはロシアやイギリスなどの国を訪れたことはありませんが、武勇と栄光の象徴として、これらの国の紋章や勲章に刻まれています。
さて、騎士の聖ジョージの伝説的な物語に触れましょう。
紀元280年(または275年)、パレスチナのある富裕で善良な貴族の家に、健康な新生児が誕生しました。若い両親はその赤ん坊をジョージと名付けました。 当時、ジョージの父親はローマ軍の将軍でした。ローマ君主がキリスト教徒を執拗に迫害したにもかかわらず、ジョージの父親はキリスト教に対する信念を失わず、夫婦とも神様への信仰を堅く保ち続け、その敬虔さは息子ジョージにも受け継がれました。若き日のジョージは、神様に自分のすべてを捧げ、神様からの聖寵を自分の精神的、肉体的な美しさで讃えたいと願っていました。
若いジョージは、機敏さと寒さに耐える能力を備え、勇ましい青年へと成長しました。彼の父親が早世した後、ジョージは母親のポリクロニアに連れられて、ルダ(現イスラエル)の町にある母親の荘園に移住しました。大人となったジョージは、父親と同じように軍人になりました。
20歳の時、ジョージの母親も亡くなりました。その後、彼はローマ帝国の宮廷警備隊に選ばれ、国王と王室の護衛として近衛兵の騎兵に任命されました。ジョージは、卓越した頭脳と優れた容姿、そして抜群の勇敢さで、宮廷警備隊の中でも際立っていました。彼は国王ディオクレティアヌスの信頼を得て、次々と昇進し、やがて若く有能な千軍万馬を統率する司令官となりました。
一年中外で行軍していたジョージは、天国世界の素晴らしさをよく思い描いたり、神様に恥じないように自分自身をいかに磨くべきかを考えたりしていました。彼は7つの修道院の建設に力を尽くし、そのうちの一つは自分の家に建てました。若き日の彼は、神への信仰を人生の輝きとしました。
また、聖ジョージに関する伝説もたくさん残されています。その中で、竜退治の物語は不朽の伝説として知られています。
中世のベストセラー『黄金伝説』によると、聖ジョージが将校だった時、カッパドキアからリビアのシリンという町に行きました。町の近くには、とても広大な湖があって、そこには恐ろしい悪竜が棲んでいました。悪竜は、町の人々に毎日生贄を捧げるように要求し、さもなければ城壁を破壊し、毒気を吹きかけていました。最初、人々は毎日2匹の羊を生贄として捧げました。
しかし、羊は全て竜に呑まれてしまいました。 竜はさらに凶暴となり、生きている人間、子供、あるいは処女を捧げろと要求してきました。王は自分の国を存続させるために、町の人々に自分の息子や娘を順番に竜に捧げるよう強要しました。
気の毒な人々は邪悪に対抗できず、悲しみのあまり自分の子供たちを悪竜に捧げてしまいました。 しかし、やがて町の全ての子供が竜に食ベられてしまい、国王の娘だけが残りました。
(つづく)
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