あなたの知らない香水の成り立ち(上)

香水の登場は何千年も前まで遡り、古代エジプト、ローマ帝国、メソポタミア、また、ペルシア帝国でも香水が見つかりました。香水は衛生、清潔、礼儀などの面で使用され、また貴族の象徴でもありました。

今日では、香水はさまざまな場面で愛用されています。ファッション業界のトレンドとなる前に、香水は貴族と区別するために使用されました。多くの文化では、香水は高貴な階級だけが使用できるものとされ、その価格は非常に高額で手に入れるのが難しかったのです。

記録に残る最初の香水製造業者は、Tapputiという名前の女性化学者でした。彼女の調香物語はメソポタミアの出土品、粘土板から発見されており、それは紀元前1200年ごろのものでした。

古今東西、香水はさまざまな文明において、それぞれ異なった場面で興味深い方法で使われています。

香水はファッション界の寵児(Akane / PIXTA)

古代エジプトの香水

古代エジプトでは、香水は上流階級の象徴であり、神話ではネフェルトゥムという神として崇拝されていました。ネフェルトゥムはしばしばスイレンを頭に頂いた男性として描かれ、スイレンはまた、古代の香水の一般的な成分でした。

エジプト人は、天然成分を無臭の油で蒸留することで、香水を作りました。最も人気のある香りは花の香り、木の香り、果物の香りでした。香水は儀式にも使用され、香料と没薬[注1]はエジプトの貿易において重要な役割を果たしました。

エジプトの支配者、たとえばクレオパトラ女王やハトシェプスト女王などは、体に香水をつけたり、居住場所や浴室に香り付けたり、一説によると、副葬品として墓に埋葬するよう命じたといいます。

エジプトの女王やファラオたちは香水を愛し、副葬品として肌身離さず付けていた(madeleine_steinbach / PIXTA)

古代ペルシアの香水

古代ペルシア人も香水に夢中でした。彼らは数世紀にわたり香水業界を支配し、非油性の香水の発明者とみなされています。

香水はペルシアの貴族社会で重要な位置を占めており、ペルシアの王たちは通常、独自の「トレードマークの香り」を持ち、他の人が模倣することを許しませんでした。ペルセポリスのダリウス大王は香水瓶を手に取って肖像画を描かせるほどで、クセルクセス大王も愛用している香水の香り――スズランの花と一緒に描かれていました。

記録によれば、古代ペルシアには多くの香水製造装置と工房が存在し、人々は異なる香りと蒸留技術を試すことを楽しんでいたといいます。

ペルシアでは、スズランの香りの香水が普及していました(trikehawks / PIXTA)

古代ローマの香水

古代ローマ人は香水の製造プロセスを丁寧に記録し、中には世界最古の香水工場から生まれたものも含まれており、その歴史は紀元前1850年まで遡ることができます。

当時、人々は愛の女神アフロディーテの神殿と礼拝の儀式で香水を使用していました。しかし、香水は宗教的な目的だけでなく、ローマが世界の中心へと成長する重要な役割を果たしたのです。

推定によれば、ローマ人は毎年約2800トンの乳香[注2]と550トンの没薬[注1]を輸入していました。これらの香料は公共の浴場で水に香りを加えるために使用され、香脂、香油、香水などのボディケア製品にも加工されました。

一部のローマ人、例えば古代ローマの博物学者であり政治家でもあった大プリニウスなどは、香水を贅沢で浪費的だと強く非難しました。ローマが滅びた後、香水は贅沢品として完全に禁止され、その後、数世紀にわたりヨーロッパで流行しなくなりました。

ローマ人は毎年大量の乳香を消費します(chormail / PIXTA)

[注1]没薬・・・エジプトでは、ミイラ製造の防腐剤や薫香料に用いられ、痛み止めや健胃薬・うがい薬などとしても使われていました。
[注2]乳香・・・樹脂の一種、香料の原料として利用されています。

(つづく)

夏瑜