【大紀元日本2月22日】
<モスク建設反対にほくそ笑むタリバン>(ニューズウィーク日本版2010.8.31)
昨年夏、9.11事件の舞台となったNY世界貿易センタービルの跡地(グラウンド・ゼロ)近くにモスクの建設が計画されていることを巡って、アメリカで大規模な建設反対運動が起きた。
その際、イスラム教徒にとって、モスクが建設されないことを願うのは神への冒涜行為に他ならないはずなのに、アフガニスタンのイスラム武装勢力タリバンはそれを望んでいるというのだ。なぜなら、モスク建設への反対運動で、タリバンへの新メンバーの加入や寄付金、そして支持が増えているからだという。
神への冒涜などお構いなしに、しめしめとにんまり「ほくそ笑んでいた」のである。
「ほくそ笑む」は、日本でもおなじみの「塞翁が馬」の故事に由来すると言われる。
昔、中国北方の塞(とりで)近くに占いの上手な老人(塞翁)が住んでいた。ある日、老人の飼っていた馬が遊牧民族の住む胡(こ)の地に逃げてしまったので、近所の人々が慰めに行ったところ、老人は「これはきっと福に転じるだろう」と言った。
果たして、数カ月後、逃げた馬が胡の駿馬を連れて帰ってきた。人々がお祝いの言葉を言いに行くと、老人は今度は「これはきっと禍(わざわい)となるだろう」と答えた。
老人の家では良馬に恵まれたが、ある日、乗馬好きの息子が落馬して足の骨を折ってしまった。お悔やみを述べに来た人々に、老人は「これはきっと福に転じるだろう」と言った。
一年後、胡の人々が塞に攻め込んで来たため、体の丈夫な若者は皆、戦いに駆り出され、10人中9人までが死んでしまった。ところが、老人の息子は、足が不自由だったので、戦いに行くこともなく、親子ともに無事であった。
(『淮南子』人間訓より)
「ほくそ笑む」に漢字をあてると「北叟笑む」。「北叟(ほくそう)」とは「北方の老人」を意味し、上の故事の「塞翁」のことだと言われる。北叟はこの故事からも察せられるように、禍福いずれの場合も達観したように落ち着き払い、かつ喜ぶときにも憂うときにも少し笑みをたたえたと伝えられる。このことから、「北叟が微笑む」→「ほくそ笑む」ということばが生まれたと言われる。
語源はどうであれ、このことばは、冒頭の例に見られるようにマイナスのニュアンスで使われることが多い。次の例も然り。
重大なミスをした米国とほくそ笑む中国(長期投資の部屋2011年2月10日)
警視庁公安部「極秘資料大量流出」裏でほくそ笑むのは誰だ(現代ビジネス・経済の視角2010年11月11日)
(瀬戸)
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