唐代の書物「独異志」(唐代朝廷や民間の逸話を集めたもの)の中に、中国の歴史上有数の名医の一人・孫思邈(そんしばく)の逸話があります。
大干ばつに遭った唐の時代、武則天(ぶそくてん、唐の女帝)は雨乞いをするために、天宮寺へ僧侶千人を派遣し、読経させることにしました。僧侶の中の講僧(講唱形式の説法をする僧)・曇林は、一行の中に、二人の白髪姿がいることを見つけました。その二人は、伊洛(河南省洛陽)の水龍でした。二人は、「雲を集め、雨を呼ぶには天符勅命(てんふちょくめい)が必要ですが、それがありません。従って、天命に逆らうことはできないのです」と曇林に話しました。どうしたものかと悲嘆にくれる曇林に、二人は「修道者が宮殿へ奏上し、意を天帝のところまで届けられれば、雨が降るでしょう」と伝えました。
曇林の報告を受けた武則天は直ちに嵩山(河南省鄭州)で修行している孫思邈を呼びつけました。孫思邈が宮殿に入った当日の夜、願い通りに大雨が降りました。
白髪の二人は孫思邈に、「衆生に利益を与えなければ、昇天はできませんよ」と伝えました。50年あまり修め続けた孫思邈はハッと悟りました。彼は宮殿を後にし、人々を救うために医学書「千金方(せんきんぽう)」30巻を書き残しました。そして、医師としての心構えを説いた明訓「大医精誠」をしたため、医学書の前書きにしました。孫思邈は医学書を完成したのち、得道して白日飛昇したと伝えられています。
(翻訳編集・豊山)
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