中国史における、春秋時代につづく「戦国時代」とは、前漢の劉向による『戦国策』という書物からそう呼ばれたもので、各国が戦争をしていたというような曖昧な雰囲気から生まれた名称ではありません。
ちなみに「春秋時代」も、季節の春秋ではなく、『春秋』という儒教では重要とされる書名からそう呼ばれたものです。
私怨をはるかに超越した真の勇者
さて、その戦国時代の最末期に荊軻(けいか)という、すさまじい暗殺者がでます。
狙う相手は、当時まだ秦王であった嬴政(えいせい)のちの秦の始皇帝になる人物です。
北方の燕(えん)から放たれた刺客である荊軻は、ついに秦王に謁見する機会を得たその時、隠しもっていた短刀の鞘をはらって秦王に躍りかかります。
しかし、あと一太刀のところで取り押さえられ暗殺は失敗。荊軻は処刑され、燕はほどなくして秦に滅ぼされます。
ここでテロリストをほめる意図はありませんが、中国史上で数ある暗殺者の筆頭に挙げられる荊軻の名誉のために、一言申しておきましょう。
荊軻には「義」がありました。彼が秦王の命を狙ったのは、自身の私怨からでは全くなく、強大な力で迫り来る秦を前にした燕王の依頼をうけてのことです。
もとより命を捨てる覚悟で刺客となった荊軻にとって、それは怨恨からの行為ではなく、義挙に他なりません。
「恨み」は必ず自分の健康を損なう
まことに悲しむべき性質ですが、人間が私怨の炎をめらめらと燃やすとき、その対象を殺したいと思うほど憎みます。警察に逮捕されなくても、知らずして精神的殺人をおかした「犯人」にもなっているのです。
そこに至る個別の事情はさまざまですので、そのことに言及はできませんが、もしも今、あなたが(あるいは私が)他者に対する怒りや恨み、憎悪や嫉妬心を燃やしているとすれば、それは「あなたが非常に不幸で、心身ともに不健康な状態にある」ことを、あなたのために、衷心よりお教えしなければなりません。
米国のある科学雑誌は『悪い気分が毒素を生む』と題する研究報告を発表し、そのなかで「人類の悪い念は、生理的な化学物質に変化し、血液中に毒素を産生する」と述べました。
また、英カーディフ大学と米テキサス大学の共同研究によると、「悪報(自身の悪い行為によって報いを受けること)」には科学的な根拠があるといいます。
一般的に、少年犯罪者の身体は同年齢の少年に比べて強く、体格もすぐれています。
ところが彼らは、中年以降になると健康状態が急速に悪化し、病気になるばかりでなく、入院や障害を負うリスクが健常者より数倍高いことが分かっています。
それには、彼らが若い頃に送ってきた不適切な生活習慣、おかした反社会的行為、およびそれらに関係する本人の「心理的葛藤」が関係している可能性が高いと見られています。
つまり、それがたとえ遠い過去の間違った行為であっても、その人の内面では消えない「債務」となり、必ず代償の支払いを求められるのです。
そうしたことを含めて、他者だけでなく自身に向けても、マイナスの意念が「血液中に毒素を生む」と表現することは可能であろうと思われます。
「他人に優しい人」は免疫物質が多い
「他人に優しく、親切にする」。そうした人間の善行は、確かにその人の心と体に好ましい影響を与えます。これを人が見れば、必ず「明るく、健康的な人」ということになります。
実際、周囲の人にフレンドリーな笑顔を見せられる人は、唾液中の免疫グロブリンの濃度が高いと言います。
そのほかにも、人が他人を気遣い、ほかの人のことを積極的に考える時、細胞を健康にする神経伝達物質が体内で分泌されます。すると、その人の免疫細胞も活発になり、本当に「病気になりにくくなる」のです。
その逆に、他人に対する悪意やマイナス思考があるときは、正反対の神経系、すなわち、負の要素が活性化されてしまい、正の要素が抑制されて身体機能の好循環が破壊されるのです。
これはハーバード大学での実験です。インドのコルカタで貧しい人々や障害をもつ人々を助けるために生涯を捧げた米国人女性のドキュメンタリー動画を学生たちに見せ、感動した学生たちの唾液を分析しました。
その結果、彼らの免疫グロブリンAの量は動画を見る前よりも増加していたことが判ったのです。
以上のことから、明快な結論が見えてきます。
他人に対して、恨みや怒り、嫉妬や敵意などマイナスの感情を捨てられない人は「病気がちで、不健康」になります。
他人に優しく、いつも他人のことを優先して考えられる人は、その人自身が「健康的で魅力あふれる人」であるはずです。
どちらを選択するか。答えは、申すまでもありません。
(翻訳編集・鳥飼聡)
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