チャールズ・ダーウィン(1809~1882)は英国の著名な自然科学者です。

いま再考されるダーウィニズム

英BBCが2002年に放送した番組『100名の最も偉大な英国人』のなかで、英国の大衆が投票で選んだ歴史上の人物として、なんと第5位のシェイクスピアをしのぎ、ダーウィンは第4位に挙げられています。

現代でもそれほどの人気を博すダーウィンですので、彼の研究者としての真摯な態度に対しては、多くの英国民と同様、敬意を表すべきでしょう。

しかし、ダーウィンの人格とは全く別に、以下のことは指摘しなければなりません。

その著書『種の起源』(1859)を筆頭に、ダーウィンの業績である「進化生物学」は19世紀半ばに発表された学説ですが、21世紀の今日でも人の思考の基本となる、言わば「教科書的」な扱いを受けています。

「およそ生物は、その環境に適応しながら、形を変えて生存してきた」。それをつまり進化とよび、私たちの日常語にも、派生語としての「進化(発展や進歩に近い意味で)」が常用されています。

しかし、「猿から人間へ」という慣用句で表現されることの多い進化論は(ダーウィン以前の進化論も含めて)あくまでも19世紀半ばに提示された、当時の知識に基づく「仮説」に過ぎません。
もとよりそれは、十分な根拠および多方面からの検証のもとに実証された理論ではないのです。

それをまるで、知らねば恥ずかしい「常識」のように受け止めてきた後世の私たちも、少なからぬ反省とともに、思考の根本的な訂正が必要であるかもしれません。

ただ、ダーウィンの進化論が生物学以外の分野(例えば、政治や社会学的分野)にまで、板金を叩いて伸ばすように広げられ、牽強付会の材料にされるのは概ね1930年代からです。

ダーウィンの没後、約50年を隔てたその社会現象は、おそらくマルキシズムの説く無神論や唯物史観と無関係ではないでしょう。もちろん、「人間の社会は、やがて進化して、共産主義社会になる」という主張を、泉下のダーウィンがどう思ったかは知る術もありません。

ただ史実として、マルクスが『資本論』の第一部(1867)を上梓したとき、その一書を、まだ存命だったダーウィンに献本しています。

ダーウィンがその贈呈本を喜んだか否かは不明ですが、「万物は神が創った」とするキリスト教世界観に対立する先駆として、マルクスが9歳年長のダーウィンを肯定的に見ていたことは確かなようです。

以下は、董宇紅博士が解説する、従来の進化論に欠落していた重要点であり、言わば「本来あるべき常識」としての進化論の再評価です。

日本の読者各位のご高覧を、切に願うものです。

★董宇紅博士による解説と動画は、こちらから。
 

 

進化論は「英国史上最大のウソだった」

日本をふくむ各国の教科書に、おそらく今も「進化論」が載せられています。

しかし、BBCも認めていることですが、今日、進化論は「英国史上最大のウソだった」と言われています。これは一体、どういうことでしょうか。

はじめに結論を述べれば、「進化論は、あくまでも当時の知識に基づく仮説であり、前提たるべき公理ではなかった」ということです。

自然科学者、生物学者であるダーウィンは1859年に進化論を提唱しました。
当時、ダーウィンは地球上の生物の多様性と生命の起源を説明するために『種の起源』を著しましたが、すでにその中で、著者自身が「進化論はただの仮説であり、これは真理ではなく、後世のさらなる検証が必要である」と述べているのです。

以前から進化論には、その真偽を評価する上で、いくつかの「核心的な議論」があることが知られています。

そうした進化論に関する論点のうち、代表される3点を以下に挙げます。(それに対する異議や指摘は、次章以降で詳述します)

1、共通祖先論
生物は、ある種から別の種に進化することができる。つまり、全ての生物は「共通の祖先」を持っている。
それはまるで、木の幹から様々な枝を派生させているようである。単細胞生物は多細胞生物に進化し、それぞれ動物、植物、真菌に至り、また各種の分類項目である門、綱、目、科、属、種へと細分化されて発展する。

2、遺伝子の突然変異
突然変異の中には、生物が進化する方法である遺伝子に組み込まれるものもある。

3、適者生存
自然環境は常に、生物に対してストレスを与えている。その環境に適応できる種の生物が生き延びる。つまり、強いものが生き残り、弱いものは淘汰される。

 

今世紀に起こる「進化論への異議申し立て」

今から2年前の2020年4月、こんな動きがありました。

化学、生物学、医学、物理学、地質学、人類学、古生物学、統計学およびその他の分野から、ダーウィニズム(ダーウィン主義)に対する「科学的異議を申し立てる声明」が発表され、1100名を超える科学者と研究者が署名しています。

その声明のなかには、「進化論には『突然変異』と『自然選択』がある。しかし、それらが生命の複雑さを説明できるかどうかについて、我われは懐疑的だ。ダーウィン理論の根拠に対する真剣な審査が、今こそ奨励されるべきだ」とあります。

そこで、前章で挙げた3つの論点について、ここで再度取り上げます。

 

疑問1:生命の起源に「共通の祖先」があるのか?

「人間は猿から進化した」という言葉をよく耳にします。

進化論は、人類と猿に共通の先祖である「猿人」があった、と説きます。あるいはこれを「類人猿」とも呼んでいます。さらに人類は、最初に植物から動物へ進化し、猿人を経て、そして最後に現代人という「知恵ある人」つまりホモ・サピエンスに進化したというのです。

しかし、もしそうならば、進化の過程において、無数の種類におよぶ「中間種」を作るはずではないでしょうか。ところが、これまでの考古学研究では、このような中間種は発見されていません。

つまり「猿人」という、人類の仮説上の先祖は、まだ見つかっていないのです。これは、進化論という仮説の、途中部分が欠落していることを意味します。

「猿(猴)から人間へ」という進化論の仮説は、途中部分が欠落しています。(健康1+1/大紀元)

 

(次稿に続く)

(口述・董宇紅/翻訳編集・鳥飼聡)

エポックタイムズのシニアメディカルコラムニスト。中国の北京大学で感染症を専攻し、医学博士と感染症学の博士号を取得。2010年から2017年まで、スイスの製薬大手ノバルティスファーマで上級医科学専門家および医薬品安全性監視のトップを務めた。その間4度の企業賞を受賞している。ウイルス学、免疫学、腫瘍学、神経学、眼科学での前臨床研究の経験を持ち、感染症や内科での臨床経験を持つ。