孔子には数多くの弟子がいます。その中に宰我(さい が)という人がいて、弁論の達人と評されました。最初、宰我に対して、孔子は良い印象を持っていましたが、徐々に彼が親孝行をせず、道徳心もなく、非常に怠惰であることに気づきました。そして、ある日、宰我が怠けて昼寝しているところを見かけ、「朽木は雕る可からず」(役に立たないものの例え:きゅうぼくはえるべからず)と叱りました。後に、宰我は反乱に参与したことで殺されました。
孔子には澹台滅明(たんだい めつめい)という弟子がいます。容貌が非常に醜かったため、孔子は彼を愚鈍で才能に乏しいと思いました。しかし、学業を受けてから、自らの行いを修め、他人にへつらうことなく正々堂々と生きています。その後、彼の下で学ぶ学生は300人余りいて、その名声が諸侯の間に伝わりました。
後に孔子は、自分が見かけで人の能力を判断して失敗したことを反省しました。
「以貌取人」は、容貌で相手がどういう人かを判断するという意味で、見かけで人を判断してはいけないことを戒める言葉です。
『史記』「仲尼弟子列伝」より出典
(翻訳編集:華山律)
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