ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone)は14世紀のフィレンツェの偉大な画家であり、ビザンティン美術の形式を越え、現実味あふれる人物の自然な感情表現を描く最初の画家として、ルネサンス期の絵画に深く影響し、「西洋絵画の父」と呼ばれています。
ジョットは元々、フィレンツェの小さな村の農家の息子でした。少年だったジョットは、羊の放牧の時、よく石を手に取って岩の上に絵を描いていました。ある日、著名画家のチマブーエ(Giovanni Cimabue)がこの場所を通り、その生き生きとした羊の群れの絵に驚き、ジョットの父親にかけ合ってジョットを弟子にしました。これが、羊飼いの少年が巨匠への道を歩み始めたきっかけでした。
当時のローマ教皇ボニファティウス8世は、優秀な画家を求めていました。ある使者がジョットのところへやってきて、教皇に見てもらう絵を求めたところ、ジョットは赤い絵の具で大きな円を描いて使者に渡したのです。
いい加減な態度のジョットに怒った使者は、絵を教皇に渡す際、ジョットの悪口を言いました。しかし教皇はジョットが何の道具も使わず、軽々とこの非常に正確な円を描いたことに驚き、高い給料でジョットを雇いました。
ジョットは1296年にローマへやってきて、教皇のために多くのイエス・キリストにまつわる壁画を描きましたが、しかし酷く破損しているため、現在、復元することが非常に困難となっています。
ジョットは実は活気あふれたユーモアのある人です。有名な『デカメロン』の著者であり、ジョットの友人だったジョヴァンニ・ボッカッチョに、「これほど美しい絵画を描く男の子が、どうしてこんなにも普通なんだい?」とからかわれた時、ジョットは、「仕方ないさ、絵を描くのは昼間の明るい時で、子供を作るのは、夜の暗闇だったからさ」と冗談で言い返したのです。
ジョットの代表作は1305年に完成したパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ壁画で、聖母マリアとイエス・キリストの生涯を描いたものです。
ジョットはこれまでの画家よりも現実的に、三次元的に描くことができ、彼の絵筆で描かれた人物はまるで生きているかのように見えます。このような絵画様式は多くの人々に感動を与え、芸術界に大きな影響をもたらしました。
そのため、ジョットはルネサンスへの先鞭を付けた偉大な芸術家と見なされており、彼は存命中、すでに大きな栄誉を享受しました。ジョットの成功はその師であるチマブーエをも超え、ヴァザーリはその著作の中で、ジョットを「神様の恩恵」と称賛しています。
(翻訳編集・天野秀)
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。