【大紀元日本7月24日】台湾最大野党国民党の党首選挙は7月16日幕を閉じ、台北市市長の馬英九氏が37万5千票余りを獲得し、競争相手の王金平氏の14万3千票余りを上回り、圧倒的な優位で当選した。引継ぎは来月19日に行われる予定である。
100年の歴史を持つ国民党にとっては、今回の選挙は初めて党員の直接投票によって行われた。これまでは党内の元老が人選を推薦するか、党首自らが後継者を決めてきた。政治評論家の分析によると、国民党の今回の改革は二つの意味があり、一つは党を民主的な現代政党へと脱皮を完成させたこと、もう一つは次回の台湾大統領選挙の候補者を間接的に決め、不要な争いや懐疑を避けることができたことという。
メディア注目の焦点となった馬英九氏はどういう人物であろうか。
「台湾製造、香港納品」と自称する馬氏は本籍が中国湖南省で、1950年7月13日に香港で生まれた。台湾大学法学部を卒業後に渡米し、ニューヨーク大学で修士学位、そしてハーバード大学で博士学位を取得した。父親の馬鶴凌氏は国民党の古い党員で、かつて蒋介石の守衛官だった。馬英九氏は5人兄弟の唯一の男で、3人の姉と1人の妹がいる。夫人の周美青氏は中国国際商業銀行(台湾)の法務室で主任を勤めており、2人の娘がおり、どちらもアメリカ留学中である。
1998年から台北市市長を務めた馬氏は政治歴も長い。アメリカ留学中、「反中共愛国連盟」に参加し、学生ジャーナル「ボストン通信」で執筆するなど、国民党の海外宣伝活動に参加していた。卒業後はボストン第一銀行の法律顧問、ウォール街のカシディッツ法律事務所でインターンを経験した後、メリランド大学法学部で研究顧問として勤めた。1981年台湾に戻った後、総統府第1局副局長兼蒋経国総統の英文秘書、同時に政治大學法学研究所で副教授と任命された。以降、国民党の新生代のエリートとして活躍し、国民党中央本部副事務総長、法務部長、大陸調整委員会副委員長などを歴任し、国民党中央委員、党副主席などの要職を担当してきた。
イメージ、政治実力、人格、行政的手腕ともによい評判を得たため、馬氏は「統一派」内部の政治的スーパースターとして見なされ、同時に台湾の政界において影響力の大きい外省人(中華民国政府が台湾に移転してから台湾に移住してきた人たち)出身者の一人である。評論家の話しによると、馬氏が今回の選挙で7割の投票を獲得したのは高い知名度、親しみやすさ、若さ、政治家としての清廉さ、政治改革への勇気など個人的な魅力が大きく働いたという。
2001年台湾の「天下」誌が行った政治家のイメージに関する民意調査では馬氏はトップだった。また、香港大學がインターネットで行った「大陸と台湾の政治家ランキング」でも馬氏は台湾の政治家のトップだった。
馬氏は政界では人気の高い存在だが、女性問題の噂が一切ない。「大学で教えた時からたくさんの有名人の私生活問題を見てきた。どんな職にいても、金銭・女性問題には絶対に関わらないように自分に戒めている」と本人が語り、「私も別に美女に免疫を持っているわけではなく、ただ美女にそういう機会を与えないようにしているのだ」と自嘲し、また「毎日16時間以上仕事しているから、十分監視されている」ともいう。
「常に完全さ、着実さそして美しさを追求する」と本人が話すように、台北市長在任中の彼は、仕事のクォリティーを厳格に追求して、細かいところの確認まで徹底する。建設工事においての中国語・英語の併記、プールで深さの表記を指示したり、政府の公文書を確認するときに文章の記号も逃がさないことなどが知られている。
馬氏の趣味は運動、特にゆっくりとしたジョギングである。彼はこう語っている。
ジョーキングには3つの「する原則」と3つの「しない原則」があり、それぞれ「よく準備する、順調にスタートを切る、自分の長所を知る」、と 「途中で諦めない、途中で休まない、後退しない」である。「人生は自分との競走だ、こうした態度で人生に向えば、自身が絶えず勉強し、前に進む動力となり、そしてより遠い、高い目標が見えてくる。それで毎日眼が覚めると、元気いっぱいを感じるのだ」。
これは馬氏の人生哲学であろうか。
(写真提供:中央社)