中国政府の呼号する「調和社会」について

2006/01/21 更新: 2006/01/21

【大紀元日本1月21日】新聞によれば、中国政府は人民の中でも大多数を占める弱者の怨嗟に,やっと重い腰を上げ始めたようである。その意味で、中国が、ようやく成長最優先の時代から、若し弱者救済重視への方針変更をしたのであれば、遅きには失するものの、それはそれなりに正当に評価すべきであろう。恐らくは2008年のオリンピックも、中国共産党による華麗な国威高揚の場となるのであろうが、本来大国中の大国である中国がオリンピックを主催出来るまでに回復したこと自体は、諸外国による帝国主義侵略や収奪も今や往時と過ぎ歴史上の事実として冷静に判断される時代になったということでもあろう。元々、長い歴史の中でも南船北馬に代表される自然環境の違い、少数民族を虐げ、時には中国内ですら島夷とか索虜とかとお互いに非難し合ったりした過去を含め、地理的あるいは政治的に中国を分断していた数多くの矛盾が、とにもかくにも一掃され混沌から名実共に統一国家として国際的にも認知され、一連の体裁を整え終わったこと自体、過去、秦から清に至るまで多くの大帝国を築いて来た中国民族にとってはむしろ当然の結果かも知れない。

ところで、何故、最近になって急に「調和社会」なるモットーがもてはやされるようになったのか? 最近の新聞報道によれば現在の中国では全国の僅か0・4%の家庭が国民全体の個人資産の実に60%を所有しているという驚くべき調査結果を米国投資顧問会社ボストン・コンサルティング・グループが発表した由である。その発表によると全家庭3億6千5百万戸の内、僅か0・4%にあたる159万戸が国民の個人資産の実に60%に相当する8,230億ドルを所有しているとのことである。その調査自体の信憑性はさておき、仮にこの調査の指摘する数字が当らずとも遠からずというのであれば、この数字の示す状況は中国にとって既に大変な異常事態であり、若し可及的速やかに、しかも抜本的な対策が講じられなければ、大規模騒乱や社会不安の導火線となることは明らかである。新聞によれば、中国政府は、懸案であった都市と農村の税制不平等についても、ようやく手を打ち、春秋戦国時代から現在まで連綿と続いた農業税を廃止するそうだ。 史書によれば前漢の最盛期文帝の時代に地租を暫く免除した実績こそあるが、ある意味では歴代政権のなかでも画期的な決断である反面、またぞろ財源に苦しむ地方政府が新たに別種の賦課金を農民に課さぬよう厳しい管理が望まれる。

労働者や農民の生活水準が客観的に見ても明らかに革命前の混乱に比して改善され、歴代史書に共通する大量餓死という深刻な問題は過去の話となり、欧米の中産階級も羨むような生活を営む一部の勝者達の優雅な生活が喧伝される一方で、未だ劣悪な職場環境に苦しむ無数の労働者達の惨状、あるいは工場群が無秩序に建設された反面、残念にも公害防止への投資が全く無いか、軽視された結果として、工場の排出する煙害や化学物質による悲惨な公害に苦しむ大勢の農民達、更には沿岸各省の繁栄に較べて内陸各省の重税に喘ぐ9億の農民達の生活水準の低さ等、革命後既に半世紀を経たにも拘らず、いまだに大昔と左程変わらぬ生活に喘ぐ低所得者層に対して、中央政府は過去どのような救済策を講じて来たのか? 数十年の間、社会主義計画経済を金科玉条としながら、経済発展の美名のもとに、明らかにそれと全く相矛盾する資本主義経済を、しかも急速無秩序に導入した結果、本来人民の貴重な財産である国営企業資産を性急に、且つ、いとも簡単に私欲に走る官僚や関係者に非常識な低価格で売却処分して人民の財産を収奪横領し、或いは、先進国の苦い公害問題の歴史を熟知しながらも敢えて急速な経済発展を優先するあまり、公害防止や環境汚染対策を軽視し続けた共産党支配下の中央政府の過ちは、今や中国民族全体の将来を掣肘するほどの危険水準に達しているのではなかろうか。一例として中国の七大河川が極めて深刻な産業廃棄物や生活汚水の弊害に悩まされ、度重なる規則の緩和によりなんとか対応してきたものの、最早、飲料水としての品質維持すら限界に近づき、国民の健康被害が無視出来ぬ段階に至っていることは新聞報道から見ても明らかな事実である。

若し、調和社会なる言葉が、各層の所得の格差が最早、看過出来ぬほどの相違となっている冷厳な事実を何とか是正しようとするものであれば、それなりに評価出来るが、最近、頻発する農民あるいは労働者の抗議行動の原因は、そのような根本的な社会矛盾に対する抗議というよりも、むしろ、より身近な日常の問題、具体的には各級地方政府つまり日本でいう地方自治体や市町村の長や官僚及びこれに癒着する産業資本による直接或いは間接の理不尽な中間搾取、汚職、腐敗なのではないだろうか? 彼等農民や労働者を突き動かしているのは、政策や制度から生じた矛盾もさることながら、彼等の生活が実質破壊されるのを何とか食い止めたいという人間としての止むに止まれぬ当然の姿ではないだろうか。公害問題一つをとっても大気や水資源の汚染が既に深刻な事態を招いているにも拘らず、一向に然るべき是正を行わぬ当局に対する痺れを切らした抗議活動なのではないだろうか。

云うまでもなく彼等農民とて中国に暮らして来た以上、中国官憲の「人民の為に服務」という党是とは似ても似つかぬ牢固たる官尊民卑や、少しでも当局に都合が悪ければ国家機密として隠蔽したり、いわれのない懲罰や報復としか思えぬ過酷な弾圧を知らぬ訳ではあるまい。にも拘らず何故多数の騒動が発生するのか? その答えは明確であろう。従順な農民や労働者の辛抱が限界を超えてしまったのだ。勿論、何でもかんでも共産党のせいにするのは不公平とは思うが、一党独裁の弊害もここまで来れば最早弁護の余地も無いのが実情であろう。率直に言えばこれは明らかに政権党による失政というよりは犯罪行為としか言えない現象である。中央政府即中国共産党は人民の総意によって選ばれた筈ではなかったのか? それがいつの間にか、共産党と人民の関係が逆転し、肝心の民の声に耳を傾けるどころか、かえって民を弾圧しているのが実態ではないのか。その故にこそ、とってつけたように調和社会なる造語を広めようとしているのではないか。実態は調和社会には程遠い階級社会,つまり「非調和社会」を作ってしまった責任を共産党はどうとるのか? 事態は切迫している。中国の長い歴史の中でも悪政を原因とする弱者の怨嗟が、大規模に自然発生した時には例外なく王朝の交代が起こった。しかし、現代社会において流血の惨事は人類全体の悲劇であり絶対に避けなければならない。況や文化大革命の如き愚行や惨状を繰返すことは最早許されない時代である。「オリンピックを返上せよ」とまでは云わないが、オリンピックが行われると、好むと好まざるとに拘らず結果としてオリンピックが中国社会に大きな変化をもたらす事も確実である。しかし民草は、それすらもう待てないのだ。無数の声無き声をどうするのか。

「胡国家主席閣下、閣下が共産党の申し子であられることは知っておりますが、閣下も人民の声を御存知でしょう。 それでも、共産党が無ければ中国は無いというドグマに殉じられるのでしょうか、閣下が直ぐにも行動されなければ、残念なことに初代の国家主席と共に21世紀の桀紂として中国の青史に残るのみならず、閣下の真の拠り所である共産党自体も瓦解することになりましょう。 願わくば、唐朝滅亡の原因であった宦官の跋扈がなくなると唐朝自体が滅亡して五代十国に代わり民草が困窮した故事を思い出して下さい。中国の史家の言葉に「木を灼いて蠧(と)を攻む、蠧尽きて木焚く」というのがありましたね。中国共産党の宿阿であるドグマと官僚機構の是正に際しても、くれぐれも木即ち中国人民が困惑するような極端な粛清や追放を避け、着実に、しかし決して止まらずに改革を進められますように。何れは一党独裁も消滅するでしょうが、もし共産党が自浄にさえ成功すれば近い将来多党化時代になっても中国共産党に人材が残っている限り、政権への道も開けることでしょう。閣下の拠り所である共産党にとって、それが残されている唯一の生きながらえる道であること賢明な閣下は既に理解されている筈ではありませんか。」

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