何清漣:陳光誠、高智晟事件に見る中共統治手段の非正当化

2006/09/02 更新: 2006/09/02

【大紀元日本9月2日】最近発生した陳光誠事件及び高智晟事件は、筆者が長年憂慮してきたことを再び裏付ける結果となった。その憂慮とは、政府行為のマフィア化、公権力の私人化、政治暴力の公開化及び普遍化を主な特徴とする政治の変化は既に確かなものとなっていることであるが、この過程は、“統治手段の非正当化”と概括できよう。

中国の政治分野において発生しているこの3つの大きな変化について、その根本的な原因は、90年代に始まっており、中国の経済改革が既に統治階層のエリート集団が公共の財産を掠奪し、利益を得る口実となっていく中で、こうした、極めて不公平な財産分配の局面が、最終的に、社会構造の不正義化をもたらしてきた。そして、中国政府はこのために、統治の合法性の危機に陥っている。 

こうした合法性の危機とは、中国の民衆が、社会主義体制の掠奪性と専制性を自覚することであるが、政府及び官員の行為が、中共が統治を維持するためにかつて高度に依存してきたイデオロギーの神話を破壊したといったほうがよいであろう。その神話の基本的内容は、社会主義国家において、人民は国家の主人であり、国家財産の主人である。中国共産党政府は人民の政府であり、すべて人民のために奉仕するものであるということである。

イデオロギー神話の支えを失った後、日増しに強くなる最下層の民衆の反抗に直面し、民衆の利益を奪う権利を守る必要から、社会主義の道を堅持する中国政府は、後戻りできない道を進むほかなかった。それは、非正統的な統治手段の助けを借り、反対勢力の全てを鎮圧することであった。こうした統治手段の非正当性は、主として、政府による日常の行政が、既に暴力への依存を高めつつあることに表れている。この数年来、中国政府による行為の暴力化は、特に人々の注目を集めている。こうした暴力は、現在、いくつかの点において表れている。

第一に、警察、税務、商工、城管(都市管理)、農村における計画生育において、法執行過程において、弱者勢力に対する集団的な暴力が行われている。こうした暴力の対象となった者は、常に沈黙と甘受を強いられ、反抗をしても個人の行為に留まる。こうしたまとまりのない群衆の反抗は、中国政府の統治の危機感を惹起することはない。中国政府もまた、こうした法執行行為の非正当性を認識してはいるが、これを“執行人員の法意識の薄弱さ”に帰着させてしまうのである。

第二に、政府と闇社会組織が癒着して暴力の濫用、あるいは政府部門が直接闇社会の手段を用い、農民の土地、都市住民の住居など、民衆が生存するための資源を大規模に掠奪している。こうした暴力は、統治権力を借りてのものであり、地方政府とエリート集団の利益を満足させるために行われる。更には、当地政府が公布する行政法規を根拠に、こうした行為が合法的な手法、公然と行われている。統治者が権力をかさに、暴力を濫用して非統治者に傷害を加えるさまについて、その暴虐ぶりは、法執行人員が公務執行の過程において行う公務化された暴力をはるかに上回るが、これは、典型的な、国家の不正義行為である。

第三に、特務統治の助けを借り、社会統制が強化されている。90年代後半より、特務部門、国家安全部門が社会の分野に広範に浸透しており、現代科学技術の助けを借りて、当局が異見者と見なす者全てに対して尾行、監視を行っている。国家安全部門による権力の濫用は、政府部門に比べて更に遠慮がなく、国家が誣告の手段で、人権活動家に対応している。こうした国家による誣告の手段には、国家安全に危害を与えた罪、国家機密漏洩罪、政府転覆陰謀罪等のほか、濡れ衣を着せて罪に陥れるケースもある。例えば、2006年8月に北京の弁護士許志永が陳光誠の弁護のため、山東省に向かおうとしたが、その結果、地方当局が窃盗の罪を誣告し、拘留された。;郭飛雄は北京に向かう列車でニセの切符で乗車した旨誣告され、拘留された。最も深刻なのは、政府が、行政責任を避けるため、マフィアの構成員(“身元不明の暴徒”)を大量に動員し、異見者や人権活動家に対する肉体的な虐待、殺害を行っていることである。また、大学の中では、情報員制度を実施し、特務を兼任する学生を養成し、授業における講師の言論を監視している。

中国政府による統治手段の非正当化の原因は、統治者の、政権の合法性に対する恐れである。統治グループは、現在の不正義な社会構造が、既に中国を噴火口上に追いやっていることを深く認識している。しかし、民主化を行えば、その結果として、掠奪者の行為に対して清算が行われることになる。このため、彼らが民主化を拒む態度は、80年代に比べてより強固となっている。こうした統治手段の非正当化の欠点は、あからさまなまでに暴力に依存して統治を行う点にある。これは、すなわち、毛沢東が、当時“武力で政権を打ち立てる”というスローガンによる政治の新種である。その精神は、マフィアが、暴力に依存して足場を築くことに相通じる。こうした暴力による、ほしいままの虐待の結果として、中国の民間社会、政府間の交渉の余地が日増しに狭くなり、中国における人権事業の推進が、益々大きな困難に直面することとなる。

こうした統治手段の非正当化の根源は、中国政治システムの中にある。中国における現在の権力秩序から必然的に導かれる論理的結果であって、“一部政府官員の能力が低く、法意識が弱いこと”によるものでは決してない。このため、単に何人かの官員を取り締まるだけでは、各地政府の統治手段の非正当化の趨勢を止めることはできない。言い換えれば、中国における現在の不正義な社会構造を改めなければ、政府行為のマフィア化の趨勢を止めることはできない。しかし、現在の不正義な社会構造を改めるには、これをもたらした政治体制をも改めなければならないのである。

(華夏電子報8月24日より)
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