【大紀元日本2月2日】昨年9月30日に児童を含めて75名のチベット人が中国を逃亡中、中国国境警備隊により射殺された事件では、警備隊は一人のチベット人尼僧を射殺した後、子どもたちを3ヶ月間も尋問、殴打したことが、先日に逃亡に成功したチベット少年により明かされた。チベット人権団体は、中国当局は、西側諸国が示したように児童たちは虐待されることなく釈放される約束を守っていないと譴責した。
VOA放送局によると、インドのダランサラにあるチベット人応対センターのドォジェ主任は1月31日、VOAの取材の中、15歳のジャヤンサンポン少年は1月29日にネパールからセンターに辿り着き、昨年9月から始まった逃亡をようやく終結したと話した。ドォジェ主任は、少年は現在健康状態がよく、長い道のりの逃亡生活について語ってくれたという。
少年は昨年9月に75人のチベット人逃亡者と共に出発し、9月30日にチベットとネパールの国境沿いにあるランカバ山を越える時に、中国国境警備隊の銃撃を受け、2人は銃弾に当り倒れた。のち、警備隊の兵士らが少年と児童の32人を連行したという。その場を逃れた42人はインドに辿り着いたという。
*中国国境警備隊の拷問を受けた
ドォジェ主任は、逮捕されたジャヤンサンポン少年および他の31人は共に付近の軍営へ連行され、さらに中・印国境にある駐屯地へ移送され、そこで警察の拷問を受けたという。
ドォジェ主任は「32人はそこで3日間勾留された。警察は1時間ごとに彼らを尋問し、答えなければ殴られる。3日後、子供達はリカゼの刑務所へ移送され、ジャヤンサンポン少年はそこで46日監禁された。警察は少年を解放した際の条件は、二度と逃亡しないことである。再び逃亡すれば、強制労働の刑を強いると脅迫された」と当時の状況を説明した。
チベット解放運動を支援している海外ネット・サイトの報道によると、ジャヤンサンポン少年の証言から、中国政府は関心を寄せる西側諸国政府に発表したように、子供達は保護され直ぐに釈放されたのではなく、それとは反対に、年齢の大きい少年たちは殴打され、低年齢の児童は家族の出迎えが無い場合、3ヶ月以上監禁されたと指摘した。
*建築現場で重労働を強いられた
同ネット・サイトによると、中国警察は強制連行された大人と少年のチベット人逃亡者たちに対して、ゴム棒と電気警棒で殴打したという。32人の内、15歳以下の13人の子供は拷問を逃れたが、尋問されたという。警察は子供達に対して、ダライラマと言う人物は知っているのかとか、何故チベットを逃れるのか、誰がリーダーで、その人物はどんな特徴があるなどの質問をしたという。未成年の子供達がリカゼの刑務所へ移送されてから、刑務所内の掃除をさせられた。週末になれば遊び時間として1時間が与えられたという。しかし、他のチベット人は工事現場へ送られ、重労働を強いられたという。
チベット人応対センターによると、ジャヤンサンポン少年は強制連行され49日後に解放され、家族に引き取られた後、再び逃亡したという。2度目の逃亡に、少年はネパール人に金銭を支払い、チベットとネパールの国境を越え、インドのダラムサラにたどり着いたという。センターによると、中国国境警備隊の銃撃を受け、死亡したのは若い尼僧で、青年の僧侶は足に銃弾を受けたが、死亡していないという。
*国際社会はチベット人射殺事件に関心を寄せた
2006年9月30日、中国国境警備隊がチベット・ネパール国境沿いで逃亡するチベット人グループへの銃殺事件の一部始終はデンマーク人登山者と同行したルーマニアテレビ局のカメラマンに撮影された。そのビデオはインターネットで映像公開され、国際社会の強い関心が寄せられた。当時、その付近にいた外国人登山者たちも同事件を目撃したことから、米政府、欧州連合および国際人権団体は、中国警備隊は女性を含む何の武器も持っていない人民への銃殺を強く譴責した。これに対して、中国政府は、「闇組織」が率いた大規模の不法越境事件であるから、警備隊は自衛のために発砲したと主張した。
チベット運動を支援する国際報告書によると、毎年、2千~3千人のチベット人がネパールを越えインドへ逃亡し、その内の3分の1が未成年であるという。彼らは自らの危険を顧みることなく、険しい雪の山々を乗り越え、インドのダラムサラにあるチベット亡命政府に向かうという。逃亡者の中には、避難するため、チベット宗教および文化伝統を学ぶため、精神指導者ダライラマへ身を寄せるための者など、それぞれいるという。