中国領事館、中国人留学生を監視・操縦=米大学教授の証言

2007/06/26 更新: 2007/06/26

【大紀元日本6月26日】ニューヨーク大学の中国人留学生と研究者の連合会がこのほど、新唐人テレビが主催する「全世界中国舞踊大会」の開催反対署名を展開したことから、中国在外公館が中国人留学生を背後で操りスパイ工作を図っている疑いが強まっている。米国ペンシルバニア州フィラデルフィア市のドレクセル大学商学部教授の謝田博士は6月21日、大紀元の取材を受け、自らの体験を明らかにし、「従来から中国在外公館が留学生組織(連誼会や連合会、文化クラブ)を操縦してきた。経済利益の供与を主要手段に、そのやり方はますます巧妙化している」と証言し、一部の学生リーダーは、スパイに「昇格」されているという。

謝田教授は、米国インディアナ州パーデュ大学(Purdue University)中国人学生会の副会長、米国中西部学生・学者自治連合会の初代執行主席を歴任していた。

謝田教授は取材で、中国当局が中国人留学生に諜報活動にあたらせる状況を以下のように語った。

影の政府のような共産党チーム

北京大学で研究生在学中に、私は学生による選挙で、研究生会執行委員に選ばれ、生活部長を担当した。そのときから気づいたが、学生会や研究生会の会長らは、中国共産党の党委員会や、その関連組織の青年団委員会が決めている。いわゆる民主選挙も、実際には、中国共産党に操縦されている。

1986年、私は米国に渡り、パーデュ大学に留学した。そのときから、ほんどの大学の学生会が、中国領事館に支配されていることが徐々にわかった。中国領事館の関係者が頻繁に学校にやってくる。そのため、私とほかの中国人学生は、常に監視されているようで、米国なのに独立・自由のを享受するという感覚は抱けなかった。

1988年、自由選挙が提案され、私は学生会の副会長に選ばれ、多くの運営活動に参加できるようになった。そのときから、学生会は駐シカゴ中国領事館にコントロールされているのがはっきり分かった。そのうち、背後に「影の政府」のような共産党チームが存在していることをも知った。そのチームの中国人学生は、中国領事館と密接に連絡を取り合う。領事館の教育部関係者が頻繁に学校に現れ、時には中国人学生全員と会うか、時には一部の人としか顔を合わせない、時には、共産党チームの人と単独に会う。毎回来るときに、パーデュ大学に隣接するホテル「トラベル・ロッジ(Travel Lodge)」に泊まっていた。

一方、学生会の責任者と、バーデュ大学で中国の民主を支持する学生らは、多くの民主活動家や民主支持者などを招いて、同校で講演などを行い、中国の未来などを模索した。中国民主連盟の元メンバー、王炳章氏もその中の1人。これらの行動が中国領事館の不満を誘致してしまい、頻繁に共産党チームの人を招集して、対策を講じていた。

米国自治学生会を設立

1989年の「6・4天安門事件」が発生する直前、バーデュ大学の中国人学生らは、中国領事館の支配から完全に抜け出したいと公で要求、独立した自治学生会の設立に取り組んだ。選挙の参加者らは、「中国領事館に情報提供する人はいらない。中国共産党スパイと関係を絶つ、自分たちの力で、正真正銘に独立した学生会を作る」と誓い合った。結果、同会は選挙を勝ち取り、バーデュ大学の中国人学生の会は、本物の学生組織となった。

その後、「6・4天安門事件」を応援する大規模のデモを主催した直後、インディアナ州、イリノイ州、ウィスコンシン州、ミシガン州、オハイオ州、ケンタッキー州など米国中西部11州の40以上の大学に在籍する数百人の中国人学生会の代表がバーデュ大学で会議を開き、「米国中西部学生・学者自治連合会」(下略、自治学生会)を正式に設立した。バーデュ大学は初の当直大学と選ばれ、わたしが初の執行会長となった。

その後、米国各大学で名実ともに自治学生会が相次ぎ設立された。その時期において、中国領事館は、中国人学生会を完全に掌握できないでいた。

当時、中国国内で大学生による民主運動が発生、それに加え、国際社会も中国当局を非難していた。そのような状況の中、中国人学生は次々と目を覚まし、中国共産党とその領事館の制御を打破しようと決心した。海外に留学する当時の学生のほとんどは、中国共産党に反対し、弾圧や虐殺に反対していた。一夜にして、中国共産党は学生会を操縦できなくなった。領事館に情報提供していた中国人学生も、心に一定の衝撃を受けたり、良心の叱責を感じたり、あるいは、怖くなったため、自治学生会は従来の学生会を代行した

自治学生会が設立してからも、中国領事館はあきらめなかった。引き続き留学生を支配するために、ほかの一部の中国人学生をコントロールして、別の組織を設立した。例えば、バーデュ大学には、「中華クラブ」が立ち上げられた。対外には、組織の主旨は娯楽であると称した。共産党員が背後で召集し、中国領事館がバックアップしていることは、自治学生会のメンバーはっきりと把握していた。そのスローガンは、親睦を目的とし、政治に関与しないというもので、「民主運動を支持しない、天安門事件を支持しない」ことを意味していた。

「中華クラブ」は中国領事館から資金をもらい、パーティや、映画鑑賞などの活動を主催していた。当時は、国内の新作映画のビデオを見られるのが非常に珍しいことで、中国人学生にとって、貴重な娯楽である。そのため、多くの学生が呼び寄せられた。中国領事館は、ビデオをあげたり、活動経費を手渡すなどの手法で、中国人留学生を操ろうとした。

民主活動家らによると、FBIはその後、中国領事館と密接な連絡を保つ「特殊な中国人学生」を調査し始めた。「中華クラブ」の状況も調べられたという。

と同時に、自治する学生の会の内部にも、領事館のスパイが現れた。私は後にこのことに気づいた。彼らは故意に内部紛争を起こし、権力の争奪に走り、派閥を作り、自治学生の会を分解、解散させようとした。そのやり方は明らかに中国共産党スパイの慣用手法である。

89年5月、私たちはシカゴ市中心部の広場公園で5千人の集会を開き、国内の学生民主運動を支援した。当時のイリノイ州の上院議員ポール・サイモン(Paul Simon)氏は集会で講演を行い、米国民が中国の民主を支持すると表明した。私は当時、集会の司会を担当した。中国共産党のスパイが現場で妨害を行い、マイクのコードを外すところを見つけた。当日の集会で、数十人が中国共産党と決別し、その組織から離脱することを宣言し、その場で署名した。署名した人とその名簿リストを密かに撮影する人もいた。

その後、人から私がすでに中国共産党の50人のブラックリストにあげられていると告げられた。リストアップされるのは皆民主活動家や、自治学生会のリーダーだという。1990年頃、私がパスポートの期間延長のために、シカゴの領事館に手続きしに行った。しかし、延期が拒否された。具体的な理由もなく、「上(上級部門)の規定に沿っている」と答えるだけだった。結果、一定の期間内において、私は国籍がない人となった。

90年から91年、自治学生会の主要責任者らは、ほとんど卒業し学校を出た。すると、中国共産党が再度復帰した。後に来た留学生らは、我々のような経歴もなく、「6・4天安門事件」に関しても、すでに国内で洗脳教育を受けていたため、大学生の民主運動も徐々に忘れられた。学生会が再び堕落してしまった。その時から、中国共産党による支配がますます強くなり、そのうち、中国国内では法輪功への集団迫害という「政治任務」もこの米国にも蔓延してきた。

「6・4天安門事件」の頃、国内外の環境による影響で、大学生らは比較的に問題を認識できた。憤りのあまりに、良識と正義感も引き出された。そのために、自発的に草の根のような組織・自治学生会も設立できた。中国共産党が介入するのがなかなか難しかった。しかし、あれ以降、そのような原動力がなくなり、学生らが中国領事館を恐れ、パスポートの延期や、帰国帰省などの問題で妨害されるのを恐れるようになった。学生会も、再び買収された。時には、利益分配のために、内部闘争も頻繁に発生している様子だ。状況はすっかり変わってしまった。

私が観察と調査を行った。現在の学生会の会長は、ほとんど中国領事館が指定している。以前、我々の時代に、領事館のスパイは必ずしも、会長などの肩書きはなく、積極的に学生会の活動に参加するようにしていた。いまは、彼らは主要なポストを占有している。学生らが自分のことしか考えなくなったからだ。

学生会の会長選挙の背後には、「共産党チーム」が活躍している。そのチームは内部で人選を決めた後で、メンバーらは、様々な角度から票集めを行う。その過程において、いわゆる愛国主義などの口実も使われるかもしれない。いまの状況からみれば、中国共産党の意識形態が堕ち続けているにつれ、これら学生会のリーダーたちは、多くの場合において、自己利益のために動いている。

いまの米国にいる中国人留学生は、10年前、20年前に比べ、功利心がさらに強く、自己のことをさらに重視している。その反面、国家や社会への責任感や、正義感が欠け、社会の弱者層への同情心が乏しい。彼らは欧米国家の優秀な文化遺産を謙虚に学ぶこともなく、一部の中国共産党の手法、やり方などを民主社会に持ち込んでいる。それは非常に憂慮すべき事態である。

取材の最後に、謝田教授は、一般の中国人学生は、学生会の真の素顔を完全に知っているわけではないと指摘し、「真に欧米国家の自由・民主の理念を学び、実践していくなかで、民主方式を応用し、中国共産党とそのスパイの本質を根本から見極め、未来中国の希望と発展方向を正確に把握しよう」と呼びかけた。

2005年5月、豪州政府に政治亡命した中国駐シドニー領事館の政治参事・陳用林氏も、中国当局が在外公館を介して、利益提供などの手法で、中国人留学生をコントロールし、外国でのスパイ・ネットワークを拡大し続けているなどと証言した。

(記者・辛霏)
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