中国式民主主義について

2007/10/23 更新: 2007/10/23

第17回中国共産党大会が開かれ、胡主席の2時間を越える演説が日本の新聞にも紹介されている。その演説の中で60回以上も「民主」という言葉が使われた由である。遂に懸案の民主化が始まったのかと思ったが残念ながらどうも違うらしい。中でも「差額選挙」なる言葉が目を引いた。「差額選挙」なる言葉の意味が理解出来なかったのである。要は候補者リストに定員の10%から15%多い名前が記載され、投票の結果,落選する候補者が出るというものらしいが、果たしてそのようなやり方が民主的選挙のジャンルに入るものなのか、常識的には候補者リストそのものが為政者の選定や恣意によって作られるのならとても民主的な方法とは言えないのではなかろうか。本来の選挙制度は一定の条件を満たせば誰でも立候補が出来、一方、有権者は立候補者の政見や経歴等を考えて選ぶもので投票率始め各種の問題があるにせよ大略では先ず例外はなかろう。又,中国では時間を掛けてゆっくりと慎重に民主化を図るのだそうだが、そもそも民主主義に米国式とか中国式という違いが有ると言うのは「馬を鹿」と呼ぶに等しい詭弁ではないか。幸いにも漢字で表記されるだけに我々日本人には一見理解し易いようにも見えるが、日本語の「手紙」は書簡の意味であり、一方中国では「手紙」の意味が紙には違いないがトイレットペーパーであるように「民主」と言う言葉の意味も案外日中では違うのかも知れないが。もともと「民主」と言う言葉は明治初期に「デモクラシー」という英語の和訳に苦心した先人の造語と聞いているが、中国式民主主義というのはどうも「中国共産党独裁を前提とした民主」というものの如く揶揄するつもりは無いが、北京胡同の口さがない老百姓達ならきっと「羊頭狗肉」と言うだろうし良くても「龍頭蛇尾」の類として苦笑するのではなかろうか。

建国直後は混乱の極みにあり全てについて強権政治が効率的だったのは事実だったろうし性急な民主化をすれば各種の摩擦や混乱もあるだろうが、さりとて建国以来60余年を経て今や政経共に非常時ではなく経済成長も著しい中華人民共和国の国家主席が唱える「民主」の内容に今更のように奇異な印象を受けたのは筆者だけではあるまい。勿論,各国の特色や歴史的事情から選挙区のあり方や選挙の方法にある程度の違いがあっても何の不思議もないが民主主義自体に各国流が有る筈も無かろう。民主化と言っても一党独裁を前提とするなら、それは単に民主主義風を装う全体主義以外の何者でもない。まして慎重にゆっくりと民主化を図るというのなら、建前こそ無用の混乱を避けると言う趣旨でも,本音の方は出来るだけ時間を掛け、世論の動向を見ながら共産党の不利益にならぬ範囲で民主化を導入するが、中国共産党独裁の特権だけは絶対に手放さぬと言う「我田引水」の主張になる。顧みれば建国以来只一度の自由な選挙もなく中央政府はもとより地方自治体の長や幹部にすら共産党員でなければ参画も出来ない民主国家というのは論理的にも有り得ない話であろう。その意味で現代中国は歴代王朝と姿や形こそ違え、こと政治に関する限り73百万人の党員,具体的には党の中高級幹部を特権階級とする「党員にあらざれば人に非ず」という厳然たる階級社会であり、一見企業名を装うものの実態は労改である強制収容所群、公安と言う政治警察、党の私兵である人民解放軍と武装警察隊で12億以上の人民を支配し政治犯を量産する史上最大の全体主義国家としか言いようが無い。万歩譲って、それでも民衆の生活が目に見えて改善し所得の平準化も進み、「鼓腹撃壌」(世の中の太平を楽しむこと)とまでは行かずとも他国が羨む程に万民が平和な生活を謳歌しているのならいざ知らず、窮迫した農民や労働者の争議や騒動が年間8万件にもなるという。しかもその騒動の主たる原因は決して庶民や農民の過度な要求ではなく社会の不公正つまり共産党員を中核とする官僚組織が隅々まで貪官汚吏の棲家となり庶民農民の困窮をよそに私腹を肥やしている事にたまりかねた農民の悲鳴にあるのが現代中国の真の姿ではないか。

5年に一度の共産党大会の為に民主運動の人士や上訴の人達に予防拘束や自宅軟禁を強い地方の官憲が上京してまで厳重極まる警戒態勢を敷き、一説によれば天安門広場で毛主席の像の下で休息していた女性達まで手錠で連行するような圧制を敷きながら、その事態を横目に形式的な上意下達のシャンシャン大会を演じて何が民主なのか理解に苦しむ。つまるところ個々の人権より中国共産党を,法治より人治を優先する社会や制度であるが故に、27百万人という実に40%にも及ぶ党員が脱党したというのに、まだ国民より共産党優位にしがみつくのなら中国の民主化は「日暮れて道遠し」と言わざるを得まい。「科学的発展観」と言うスローガンも実態を無視し糊塗を重ねた共産党失政の修正以外の何物でもなかろう。今や焦眉の急務である真の民主化を怠れば近い将来、大なり小なり混乱は避けられまい。そうなれば一番被害を蒙るのは民衆である。見果てぬ夢かも知れぬが共産党の業病である権力闘争が一段落したのなら、せめて領導達が現実を直視し民の声に耳を傾けられん事を期待したいものだ。さもなければ未来の歴史家が第17回共産党大会を最後の党大会と青史に特記する日が来よう。古人の「奢れる者は久しからず」と言う言葉は万国共通であり中国とて例外ではないのだから。

関連特集: