【大紀元日本9月2日】
日本と中国の近代
一世紀前の歴史から語らなければならない。
100年前、つまり1909年とその前後の時代である。日本では近代史、中国では現代史と呼ばれる歴史的過渡期であるが、当時の志ある中国人から見た日本は、やや屈折した感情ながらもそれを肯定し、また自国の近代化のうえで大いに目標としていた国であった。
やや屈折した感情とは何か。
中華の観点からすれば東夷の島国である日本が、40年も早く明治維新を成しとげて近代国家への転換をはかり、大国ロシアに勝利して世界列強の舞台に駆け上がったことに対する羨望と、近代化に遅れをとり列強に圧迫され続ける自国という、もどかしい現実の間に揺れる憂国の情のことを指す。
中国の現政権下にある学校教科書には、日露戦争に関する記載がない。孫文をはじめとする当時の革命家の多くが新興国・日本に習おうとしていた事実が、今の反日教育に不都合だからだ。
「暗黒」という恐ろしさ
当時はまだ清朝という満州族による王朝が、博物館の展示物のように存在していた。
一方、清朝打倒に奔走する漢人もいた。なかでも和服に日本髪を結い、短剣を胸の前にかざして立つ写真で有名な美貌の革命家・秋瑾(1875~1907)は、日本でもよく知られている。
雑誌『中国女報』創刊の詞の冒頭で、秋瑾は次のように述べている。
「この世で最も凄惨で危険な二字は、暗黒である。暗黒のなかでは是非の別がつかず、目も耳もはたらかず、人間の世界にあるべき思想も行動もすべて存在しない。暗黒世界の凄惨な状態は、測り知れない危険をはらんでいる。危険であって危険と知らない、これこそが真の危険であり大暗黒なのである」
秋瑾は、この文章が世にでた1907年に処刑される。秋瑾が叫んだ「暗黒」の恐ろしさは、まさに彼女自身を殺してしまうことになるが、果たして辛亥革命によって1911年に清朝が倒れた後、その「暗黒」も消滅したのだろうか。
問うまでもない。
その「暗黒」に共産主義という外来の憑き物がとりついて、最も恐るべき、巨大な怪物に膨張してしまった。そのため、中国共産党の残酷さ狡猾さは、過去の中国史上のどこにも存在しないほど増幅されたうえ、なんと百年後の今日まで、消滅せずに続いているのである。
「変わる」ということへの覚醒
「暗黒」のもつ恐ろしさは、たとえ人権が侵害されても「どうせ変わらないだろう」という絶望感が先に立ってしまい、「変わる」という希望を人々に抱かせないことにある。
民衆が暴発的な抗議活動を起こしても、「暴動鎮圧」の名目で武力を投入する中共につぶされてしまうのはそのためである。
中共が恐れていることは「暴動」ではなく、人々の真の覚醒なのだ。
2009年1月、米国第44代大統領に就任したオバマ大統領が、米国初のアフリカ系大統領であったことは、中国人の覚醒にとって重要な意味をもつ。
人種のことを言っているのではない。リーダーは国民の投票によって選ばれるという当然のことを、大陸の中国人に示したことが重要なのである。
「暗黒」から「光明」への天機
8月30日、中国に近い日本で衆議院議員選挙がおこなわれた。
結果は周知の通りである。民主党が圧倒的勝利を収め、政権交代は確実となった。
現在の中国に対して批判的な日本人は、これから日本の政権を担うことになる民主党の対中姿勢を、親中的で甘すぎると言うかも知れない。
しかし、そのことはあまり重要ではない。
実はいま、中共は間違いなく肝を冷やしているのだ。
今回の日本の衆院選を見て、中国の民衆が「政権は変わる」ということに気づくのを、中共は極度に恐れているからである。
しかも日本国民は、暴力を全く用いずにそれをやった。
中国人からすればこれは驚異的なことであり、中共は今後、それら覚醒した中国民衆が「なぜ日本にできて中国にできないのか」と中共に批判の矢を向けるのを、必死にごまかそうとするだろう。
真相を伝えるということ
すべては偶然ではなく、天機によって動いている。
それはもはや百年前のような未消化の歴史の繰り返しではない。中国共産党という「暗黒」が完全に解体され、消滅することはすでに定められた天機なのである。
しかし、私たちには最大の努力をしなければならないことがある。それは、中共が解体される前に、1人でも多くの民衆に真相を伝えて覚醒させ、救済することである。
秋瑾が言い遺した「是非の別がつかない暗黒」を脱し、人々を光明世界へ導くのはまさに今しかない。泥舟が沈んでからでは遅いからだ。
真相を知り、中国共産党の鉄鎖を断ち切って脱党・離脱を表明した人は、まもなく6000万人に達する。
覚醒した民衆の静かな勇気。それを前にして、中共は震え上がっているはずだ。
(了)