【大紀元日本9月11日】
【2009年9月9日、毛沢東主席死去33周年に寄す】
中国の史書を読むと、伝説の黄帝の昔から多くの英雄を輩出し、建国や中興の祖とされる君主から諸葛孔明や文天祥のような悲劇の英雄まで、綺羅星の如く枚挙に暇がない。一方、その興亡の中で幾多の人命が損なわれたのも事実である。人傑に毀誉褒貶はつきものではあるが、数千万人の同国の人々を死に追いやった人物として中華人民共和国の建国の父とされる毛沢東主席に及ぶ人物はいない。昔風に言えば、三尺の童児ですら知る英雄アレキサンダー大王、ハンニバル、シーザーはもとより、アッチラ、ジンギスカンから20世紀のスターリン、ヒットラーを含めても、殺生では毛主席が突出しているのは誰も否定すまい。
一人を殺せば殺人者であり、百万人を殺せば英雄となるという言葉もあるが、同じ民族のしかも兵士でもない無数の民草を、それも国共内戦終結建国後の僅か10年余に死に追いやったのは隠しようのない事実である。悪名高い大躍進、人民公社、文化大革命で、5千万人を餓死に追いやったと言う説もある。それも膨大な食糧をソ連に輸出しながらの出来事であったという。
人類史上最も悲惨な2度の世界大戦を凌駕する程の犠牲者を出した張本人が、毛沢東主席を頂点とする中国共産党であった。革命の際に避けられぬ試行錯誤であったと主張するにはあまりにも惨い、人類史上最悪の人災であった。例え2兆ドルを越える外貨準備や現在の経済発展をもってしても、その愚行の正当化は不可能である。それ故にこそ、中国共産党の恥部として厳重に封印されているのであろう。
そのような人物が、今も人民紙幣の顔となり、天安門に肖像画が掲げられ、何でも近々建造されると言う中国初の航空母艦の艦名にも有力候補となっているそうだ。所得格差があまりにも広がった結果、農民の中には今も毛沢東主席の時代を慕う人達も少なくないという。しかし、後世の歴史家は毛沢東主席を指導者とした中国共産党の軌跡をどう評価するのだろう。建国から60年を経た21世紀の今日、未だに国政選挙すらなく、インターネットまで管理下におき情報を遮断する愚民政策に徹し、共産党独裁に固執する政権に果たして未来があるのだろうか。
中国は古来無数の思想家を生んだ大国でもある。有識者の知識人や政党を立ち上げようとする人物を拘束し、国家政権転覆罪なる大仰な罪状で逮捕したところで、先人が「精衛の微木もて海を埋めんと期し、青山もて河を絶たんと望む」と詠じた愚行以外のなにものでもなかろう。既に脱党者数が6千万人に迫り、あの鉄の規律を誇った人類史上空前絶後の政治組織も法治をないがしろにした結果、汚職を増殖させ壊死状態に陥ったのみか、生硬な時代遅れの唯物史観に固執し信仰の自由を奪い、古来の道徳律が崩壊してしまい拝金主義の横行で、あの古の聖賢達が総統した貴重な邦域、自他共に許す地大物博の富厚な大地を飲料水にすら事欠く公害塗れとし、貪官汚吏やその一味による不正で年間10万件を超えると言われる騒動が頻発する実情は、国務院の標榜する和諧社会とは全く非なる社会ではないか。
20年前天安門事件で共産党の狗に過ぎぬ本性を曝してしまった人民解放軍や悪名高い公安や武装警察の強権でいつまでも圧制を敷くのは、最早不可能である。いつまでも民意の統制や少数民族に対する過酷な弾圧に固執すれば、早晩破綻は免れまい。チベットや新疆ウイグル自治区での出来事はその予兆である。歴史に名高い胡漢凌礫の惨事を21世紀に又繰り返そうとするのか。経済発展の恩恵を受けられぬ庶民の辛抱強さも限界に来ている。仄聞するところでは、庶民の唯一の請願方法であった直訴制度すら禁止されるとのことである。10月の国慶節の華麗なパレードや観兵式で中国共産党の実績を誇示したところで支配者の自己満足に過ぎず、法治と民主主義による抜本的改革がなければ活路はない。そもそもパレードや観兵式で中国人民の福祉が改善される訳でもなかろう。まして他国の警戒心を増幅するのみである。それでも民生よりも国威高揚と人民解放軍に重きを置き、新型ミサイルの誇示をはじめとする軍事パレードを強行するなら、せめて軍歴のない胡主席の軍服着用はもとより、故_deng_小平氏を髣髴とさせる人民服で閲兵した江沢民氏の愚だけは踏襲しないよう祈りたい。人民服を纏った江沢民氏の閲兵に対し、人民解放軍将兵が声をそろえ「人民に服務します」と叫んだシーンは今も記憶しているが、あれほど欺瞞に満ちた光景は無かった。何故なら中国人民は人民解放軍、武装警察隊が共産党の狗であり、その主敵は何れの外国でもなく実は自分達中国人民であることを天安門事件で知って久しいからだ。そもそも国務院が人民解放軍を頼るのは本末転倒ではないか。軍人が跋扈して民生が発展する時代ではない。遅きに失せぬうちに文民による法治と民主化を進めなければ騒乱は避けられず、そうなると中国人民はもとより人類全体の災厄となろう。誰も中国の瓦解や混乱を望んではいない。領導達は民主化と法治こそ中国が安定し真の大国となるために避けられぬプロセスであることを自覚すべきであろう。