元中共宣伝部長の朱厚澤氏逝去 政府系メディア報道せず

2010/05/11 更新: 2010/05/11

【大紀元日本5月11日】9日朝、貴州省委員会書記、中国共産党中央宣伝部部長を歴任した朱厚澤氏(79)が、北京で鼻咽癌により死亡した。80年代の改革派の人物で、在任中は異見に対して「寛厚、寛容、寛大」な政策で対応することを打ち出したことで「三寛部長」と呼ばれていた。

朱厚澤氏の逝去について、政府系メディアは報道をしておらず、その訃報も家族から出したものだけで、関連追悼活動および文章もツイッターや一部ネットユーザーのサイトで伝えられているのみだ。関係者によると、北京市海淀区の玉淵潭南路にある朱家付近には多くの軍警察が配備され、厳戒態勢が敷かれているという。

1985年に貴州省委員会書記から中国共産党中央宣伝部に転任した朱厚澤氏は中国共産党の歴史上、最も見識のある宣伝部長として知られている。胡耀邦元総書記が失脚後、朱氏は「ブルジョワジー自由化のシェルター」と批判された。1989年天安門事件後、朱氏は再び批判を受け、政界から身を引いた。

晩年の執筆文章中、同氏は中国の当代政治に対する反省を綴った。また、一部関連の研究や社会活動に参与したため、中国共産党内の敏感人物とみなされていた。胡耀邦氏を記念する文章の中で同氏は「耀邦を追想し、私は、陽光政治(自由な政治)を呼び掛ける」と記す。

ある関係者によると、朱氏は生前、「我々のような老人(政治改革者を指す)は、あなた方若者に希望(体制内の高層部にまだ改革派が存在する)を与える存在だが、事実上、この希望は存在しない」と話していたという。

(翻訳編集・坂本)
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