【大紀元日本10月1日】資産家のウォーレン・バフェット氏とマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏が9月27日、北京に到着し、4日間の中国の旅を始めた。世界のトップ富豪二人が50人の中国の資産家を招待して北京で慈善パーティを開くとの話題が1か月前から多くのメディアに報道されたため、両氏の今回の訪問は注目を集めているが、意外にも、注目を一身に集めたのは、サングラスをかけ名前さえも公表されなかった、両氏に同行したある人物であった。
21年前の1989年、中国北京の天安門広場で民主を求める抗議を行なった大学生らに、共産党政権は銃を向けた。6月4日未明、自国政府があれほど残酷だとは予期していなかった多くの学生が、天安門広場で倒れ、命を失った。しかし、この真相は中国国内では封じられ、その日のテレビや新聞は、学生らを反中国の「暴徒」と呼び、天安門学生運動のリーダーらの指名手配通知が全国に流された。この記憶は40代以上の多くの中国人には未だ鮮明に残っていることだろう。
指名手配された21人の学生運動リーダーの多くは中国から逃げ出し、アメリカや欧州にたどり着き、それぞれの人生を展開したが、そのうちの一人、李録氏はウォールストリートの投資家に転身し、資産家バフェット氏の事業相続者と認められるまでに成功した。今回バフェット氏に同行して共産党管轄下の北京に入り、中国当局の貴賓となっている。
指名手配した容疑者を、中国共産党政権は自ら貴賓として招待した。当局は、当初天安門虐殺事件の真相を隠蔽したと同じく、今回、同氏の名前や写真などが一切漏れないように、メディアに報道禁止を厳しく通達したようだが、バフェット氏とゲイツ氏が出席した公の場に同行した李録氏の写真はやはり、中国メディアの報道に出てしまった。
今回中国当局の貴賓としてバフェット氏に同行することができたのは、中国の電動自動車事業を展開するBYDへの投資プロジェクトによる。李録氏がバフェット氏にBYDへの投資を紹介したことで、バフェット氏に12億ドルの利益をもたらし、その関係でバフェット氏の事業後継者の有力候補に躍り出たと報道されている。27日午後、BYDのイベントに出席したバフェット氏もその場で、BYDへの投資をポジティブに評価したという。
少し前、李録氏がバフェット氏の後継者の有力候補となったとのうわさが海外で大きく報道されたのを受けて、中国国内メディアもこのニュースを取り上げた。しかし、同氏の名前を「李路」と書き換えた。34年前の唐山大地震で孤児となったことや、南京大学で学んだ同氏の背景の紹介も中国国内のインターネット上から削除された。
多くの海外中国語メディアは、今回中国を訪問した同氏を、「指名手配された学生運動のリーダーの中で、公に中国を訪問した最初の人」として報道している。21年前の容疑者が中国当局の貴賓に一転したのは、政治が法律を凌駕(りょうが)する中国の現実を表していると、これらのメディアは指摘する。
中国の人権弁護士・李方平氏は海外中国語メディアの取材に、理論的に言えば、中国の司法部門は自分が制定した法律に反していると指摘する。「中国の刑事法は1976年当初と変わっていない。指名手配を出した時点で、もはや撤回できず、時効もないはずだ。しかし、このケースは政治的な要素が絡んでいるため、中国当局の対応も政治的な考慮がはたらいたのだろう」と話した。
北京在住の画家・武文建氏はドイツ国営放送の中国語サイトに対して、李録氏の中国訪問について、中国の法律は政治の需要に合わせて調整するものだとコメントした。武氏は、天安門事件で学生を弾圧した軍隊の行動に抗議したとして、7年の判決を言い渡されたことがあった。
また、「バフェット氏が中国とビジネスをやるのは理解できるが、李録氏もこのようにするのは理解しがたい。六四天安門事件は未だに当局に対する反革命暴乱と定義さているのに、当時天安門広場の副総指揮を取っていた彼が、今回公に中国に出入りできたのは、当局とある程度の暗黙の協力を結んでいるからだろう。彼が海外に逃げ出して成功できたのは、国際社会の六四事件に対する同情と切り離せないわけだから、(中国当局との暗黙の協力は)道義上では通らない話だ」と李録氏の中国訪問の姿勢を批判している。
1989年に当局に指名手配された21人の学生運動元リーダーのうち、14人が海外に逃亡した。李録氏以外、いずれも公に中国に入ることはなかった。今年6月4日、現在台湾在住の学生運動元リーダーのウアルカイシ氏が来日し、帰国したいとのことで東京の中国大使館に自首すると求めたが、対応を得られなかった。