【大紀元日本11月9日】11月4からフランスを訪問していた中国の胡錦濤・総書記、その訪れる先々で抗議集会が禁止されたが、11月5日、パリの凱旋門の「無名戦没者の墓」への献花に訪れる際に、予期せぬ抗議者グループに遭遇し、数人の抗議者が一時身柄を拘束された。
フランス警察当局は、抗議集会の許可を申請した国境なき記者団の関係者に対し、胡錦濤・総書記の訪れる先々でいかなる集会をも禁止すると説明した。また、定例となる記者会見も行われなかった。一方、訪問中に、両国は計200億ユーロの経済協力プロジェクトを締結したもよう。
11月4日午後、胡錦濤・総書記がフランス入りしたとき、パリの人権と自由広場に大勢の抗議者が集まった。アムネスティ・インターナショナルや、中国で集団弾圧を受けている法輪功愛好者、中国の民主活動家、チベット団体、ウイグル団体などが中心である。
同日、国境なき記者団はパリ市内でイベントを召集、中国の人権問題への関心を呼びかけた。ジュリアード事務局長は、フランスはなぜ、ビジネス取引と同時に人権を堅持しないのかと非難した。
11月5日、パリの凱旋門の「無名戦没者の墓」での献花式典へ向かう胡錦濤・総書記は、沿道で警察の警備網をくぐった抗議者らに出くわした。
参加者の一人、1989年に武力弾圧された学生民主運動「六四天安門事件」の学生リーダーで、後にパリに脱出した王龍蒙さんはラジオ自由アジア(RFA)の取材を受けて、当時の一部始終を証言した。
「私は抗議者の人ごみの最前列にいた。スローガンを叫び出してからしばらくして、一人の警官が後ろから私を抱きかかえた。手に持っていた写真はそのまま掲げさせてくれた。まさにそのとき、胡錦濤を乗せた車が私の前を通過した。私は警察にこう告げた。サルコジ大統領が胡錦濤に伝えなかったメッセージを、絶対に私の口から伝える」
現場にはたくさんの警察が駆けつけた。王さんのほか、国境なき記者団のパリ支局の支局長や事務局長ら6人の抗議者が一時身柄を拘束されたが、後に保釈された。