【大紀元日本1月29日】胡錦濤主席の訪米は、約450億ドルの米国製品の購入契約をもって終了した。主賓双方とも、得ようとするものは得たようだ。片方は巨額の注文、もう片方は一時的なメンツ。しかし、かつて米国外交の核心だった人権問題は、うわべだけにとどまった。
オバマ政権にとって、国内経済問題の解決は確かに目前に迫っている。人権問題も提起する必要はあるが、中国と多方面にわたって協力したいオバマ政権は、結局のところ、他の議題の優先を選んだようだ。しかし忘れてならないのは、相手は国内で自国民を弾圧し、さらに国内外で利益のみを追求しルール破りを繰り返している政権だということだ。米国にとってこの選択は果たして国益となるのか。
幸いにも歴史は繰り返されている。米国史上最も偉大なる大統領の1人、故・レーガン元大統領の選択は、今のオバマ政権にとって参考になるのではなかろうか。
1970年代の初期から中期にわたり、米国は同様に深刻な経済危機に陥った。その時、米国の工業生産は13.8%下がっており、GDPも7.8%下がった。全国の失業人口は850万人に達し、失業率は8.9%。消費者物価指数は15.3%上昇した。危機のピークが過ぎた1975年以降も、米国経済は依然として発展が緩慢で、インフレが深刻だった。1980年には再び経済危機に陥り、失業率は10.8%、失業者は1200万人以上に上り、インフレ率は2桁になった。
まさにこの1980年に、レーガン氏は米大統領選に勝利し、翌年ホワイトハウスに入った。当時、米国は国内の経済危機以外に、二つの重大な外交の挑戦に直面していた。その一つは自由世界を率いて、ソ連をはじめとする共産陣営と対抗すること。もう一つは中東の武装活動からの脅威に対処すること。特に前者は重要だった。
当時西側では、「ソ連の時代が間もなく到来し、自由世界は彼らと協力する必要がある」との見方が主流だった。しかし、揺るぎない反共産主義の信念を持つレーガン氏は、ソ連のもっとも険悪なところは「人類の歴史の潮流に逆行し、人民の自由と尊厳を剥奪している」ことだと認識し、反共に全力を尽くした。彼は共産主義は必ず崩壊すると信じる最初の世界級指導者でもあった。
この目標を達成するため、レーガン氏はソ連が深刻な経済危機にあることを利用し、ソ連と西側の科学技術交流を断ち切らせることによって、経済危機を増大させ、ひいては崩壊させることを主張した。彼はさらに国防予算の数倍の経費で軍備を拡充し、核兵器の牽制力を増加させ、スターウォーズ計画に着手した。そこでソ連も米国との軍備競争に大量の資金を投じざるをえなくなった。対中関係では、レーガンは「台湾関係法」を讃え、強引なまでに台湾に武器を輸出しつづけた。
反共産主義団体(武装集団を含む)への支持も、レーガンの対外政策の中の一つであり、彼の支持者らはそれを「「レーガン主義」と呼んだ。この政策の下で、米国は自由戦士と称される人たち、例えばアフガニスタン及びニカラグアの反政府抵抗勢力を支持し、ソ連あるいはキューバの支持した政府に対抗した。レーガン政権はさらに、ポーランド独立労組「連帯」などのヨーロッパの反共産主義団体に出資し援助した。カンボジア共産政権にも強硬な路線で対抗した。
レーガン氏は自由の価値と力に信念を持ち、共産主義の「巨大な嘘の空虚」をはっきり認識していた。2度の選挙などの講演で、彼は幾度も「自由と民主へ邁進してはじめて、マルクス・レーニン主義を歴史の埃として葬ることができる」と語ったのも、「共産主義は人類史上哀れで可笑しな1ページであり、今なお進行中の最後の1ページである」と信じていたからだ。彼は真っ先にソ連を「邪悪な帝国」「現代世界の邪悪な中心」と呼んだ。
こうしたレーガン氏の固い反共信念の下で、共産主義はかつてない制約を受けた。民主世界と共産陣営を隔てるシンボルのベルリンの壁も、彼が8年間の大統領任期を終える直前に取り壊され、冷戦も終結した。米学者の冷戦終結に対する正統な見方はこうである。「自由と民主の西側諸国が軍事、イデオロギー、そして経済システムで持続的に優勢を保ったため、最終的にソ連の投降と冷戦の終焉を引き起こした」
レーガン氏の功績について、西ドイツ元首相のコール氏はこう語ったことがある。「彼の出現はこの世界にとって幸運だ。レーガン氏がゴルバチョフ氏に呼びかけた2年後、ベルリンの壁が本当に倒された。その11カ月後にドイツは統一された」
また、1989年にチェコスロバキアの大統領になったハベル氏は、「彼は固い信念を持つ人で、間違いなく彼が共産主義の崩壊を促した」とレーガン氏を称えた。
レーガン氏と共に共産主義に対抗したイギリスのサッチャー元首相はこう語った。「レーガン大統領は強靭な信念を軸に、自由が後退していた世界で、自由の拡大を目指し成功した」「米国を心から愛する力に駆り立てられ、彼は世界全体を高めることができた」
レーガン氏の勇気は、自由を渇望する共産国家の人々にも大いなる励ましとなった。ワシントン・ポストのコラムニスト、デビット・イグナシアス(David Ignatius)氏がモスクワのある教授を取材した時に、教授が口にした一言は、彼にとって一生忘れられないという。「米国大統領にはソ連の真実を世界に明かす勇気があった。そして、あなた達には私達の本当の名前を伝える勇気がある」
一方、レーガン政権がソ連の共産主義を抑制し、軍備予算を大幅に増加させる時、米国経済は意外にも蘇り始め、そして持続的な発展を遂げた。1983年、米国は危機を脱出し、経済は急速に回復した。翌1984年の経済成長率は6.9%まで上り、1951年以来の最高成長率となった。それ以後、成長率は落ち着いたものの、1990年まで8年連続して増加し、インフレ率と失業率はいずれも下がった。1988年には、GDPは4兆8806億ドルに達し、日本とヨーロッパ諸国をはるかに超えていた。米国経済の迅速な発展は、その世界での地位を再度強化させることとなった。
レーガン氏は米国大統領の中でも最も敬虔なキリスト教徒だったという。着任69日目に暗殺者の襲撃を受けたが、彼は自分には神から授かった使命があり、それを遂行しなければならないと固く信じていた。また、ローマ法王・パウロ2世とマザー・テレサ氏からも、彼には神が望んでいる使命があると教えられた。その使命とはすなわち、ソ連共産帝国に打ち勝ち、冷戦を終結させることだった。この意味で、レーガン氏は神がアメリカ人、そして自由にあこがれる世界の人々に与えた「贈り物」だったと言えよう。
現在、オバマ政権が直面する立場は、レーガン政権時と異なるところもあるが、似通ったところも確実にある。レーガン氏が直面したのは強大なソ連と共産グループであったのに対し、オバマ氏が直面しているのはますます野心を強めている中国共産党。2人とも国際規則を破壊する共産独裁政権に直面し、国内の経済危機にも直面している。また、2人とも神を信奉している。しかし異なるのは、レーガン氏はわずかの妥協もない反共の道を選んだのに対し、オバマ氏は中共との協力の中で変化を促すことを期待している。
オバマ氏がこのような選択をしたのは、今の世界のグローバル化はレーガン時代に比べてはるかに進んでおり、米国は多方面で中共の協力を必要としているからだ、という見方をする人もいるかもしれない。しかし、中共には協力する意思があるのだろうか。結果なしのコペンハーゲン気候変動大会、他を憚らない経済拡張、ならず者政権の北朝鮮との結託、日増しに悪化する中国の人権。どこに中共の協力願望が表れているだろうか。米国政府はまだ中共の本当の姿が見えていないのではないか。
もしレーガン氏が生きていたなら、きっとオバマ氏にこう忠告するだろう。「自由が後退している今、神があなたに与えた使命を完成させなさい。米国のあらゆる力を駆使して、中国民衆による中共の解体を助けなさい。自由と民主へ邁進してはじめて、マルクス・レーニン主義を歴史の埃として葬ることができるのです」