【大紀元日本1月31日】2月に来日し、東京赤坂にあるサントリーホールで公演が予定されている世界的な人気ピアニスト・郎朗(ランラン)が、現在米国で話題の人物となっている。
その理由は、アメリカ在住のランランが2週間前にホワイトハウスで開かれた胡主席の歓迎晩餐会で「わが祖国」という曲を演奏したことにある。この曲は中国で最も有名な反米曲であり、中国共産党が反米宣伝の道具として利用し、愛国感情を煽動するために演奏されてきたものだ。北京の政治的な意図でランランがこの曲を故意に選んだと米国の世論は見ており、中国の政治外交に芸術が利用されたことを揶揄する「ピアノ政治」という表現が、米国批評家の口から生まれた。
晩餐会演奏事件の影響であろうか。1月29日にニューヨーク州バッファロー市で予定されていたランランの演奏会は直前にキャンセルされた。主催者によるとランランの体調不良がその理由で、演奏会は7月に延期されるという。
今年28歳のランランは中国生まれ。5歳でピアノコンテストに優勝し、次々と各国のコンクールを制覇して来た。14歳の時に米国に留学し、その後世界的なピアニストに成長した。日本では映画「のだめカンタービレ最終楽章」でピアノ演奏を担当したことで知られている。
しかし、ピアノ演奏に世界を飛び回る彼は、常に「中国を代表する宣伝塔」とされている。ランランの演奏する曲目には、ショパンやモーツァルトの名曲に混じって、中国共産党のプロパガンダ曲がある。2006年に発行された来日記念盤にある曲『保衛黄河(黄河を守れ)』は、抗日戦争をテーマにした愛国感情を煽る「名曲」だ。2005年11月胡錦濤主席がドイツ訪問中、ランランは大統領官邸の歓迎式でこの曲を演奏した後、胡錦濤に三度も抱きしめられた。当時の李肇星外相は、感激のあまり自らランランの滞在するホテルを訪れ、「中国外交に多大なる貢献をしてくれた」と賛美した。
もう一曲の「翻身的日子」も、中国共産党が地主を打倒して土地を奪ういわゆる「土地革命」を賛美するプロパガンダ曲。50年代に行われたこの政策で殺りくされた地主の数は500万人から1900万人とされている。
2010年、政府主催のコンサートに招聘されたランランは、中共の暴力革命を賛美するプロパガンダの歌「紅旗頌」を演奏した。
世界的なピアニスト・ランランは、テクニックは天才的だと評されている。しかし、14歳で米国に留学し、民主国家で自由の精神と西洋文化に浸ってきたはずだが、その天分で音楽を通して中国共産党の思索を輸出している。今回の晩餐会演奏事件で、米国人はようやく中共のピアノ政治に気づくのだろうか。
問題となった曲は、中国が「米国の侵略を反撃する正義に則った戦争」とする朝鮮戦争を扱ったプロパガンダ映画「上甘嶺」のテーマ曲「我的祖国」(わが祖国)から編さんしたもの。この曲は「友人が来るなら、いいお酒で招待する。オオカミが来るなら、猟銃が待っている」という歌詞で、北朝鮮を友人に、米軍をオオカミと喩え、武力で米国を反撃する中共の意思を綴っている。ランランが晩餐会で演奏後、中国のネット上は「ランランは英雄だ。我々の代わりに米国に復讐してくれた」と国粋主義者からの絶賛の声であふれている。
「政治が音楽に浸透した」中共のプロパガンダ曲を演奏するランランを、一部の米メディアが、「共産中国独裁政権の宮廷ピアニスト」と批判している。米メディアの取材に、中国と米国の両国を愛しており、この曲の歴史背景は知らなかったとランランは弁解する。「私は音楽家であり、政治家ではない」「政治は芸術と混同してはいけない」と本人は話している。
しかし 演奏前の中国メディアの取材や演奏後の自身のブログで、外国の要人に「中国の力と中国人の団結を示せた。非常に光栄で誇らしく思う」と語っており、ランランは曲の政治的な意味合いを意識して選んだと多くの米中読者が見ている。 ランランがこの曲を選んだ理由について、ランランのマネージャーは「テーマは愛国であるし、胡主席からの共感も得やすい」とも発言していた。
ランランは、自身は政治とは無関係だと表明するが、実際は中国統一戦線の主要メンバーであり共産党の高級幹部だ。
中国国内の報道によると、ランランは昨年、全国青年連合会の副主席に選ばれている。中国共産党青年団のウェブサイトによると、この連合会は「中国共産党の指導の下で共産主義青年団を核心的な力とする、各青年団体の連合組織であり、愛国統一戦線組織である」と説明されている。胡錦濤・現国家主席は1984年、同組織の主席を担当していた。同組織の副主席の地位は、共産党内中央の副部長に相当する。
つまり、同組織の副主席を担当するランランは、自分は政治とは無関係と弁明しているが、実際に共産党内中央の副部長に相当する中国共産党の高官だ。ランランの無実の表明に「中国語で愛国を語り、英語で嘘をいう」と中国人ネットユーザーは皮肉っている。