【大紀元日本3月25日】2011年3月1日午後2時46分、日本の東北地方・三陸沖で、マグニチュード9.0の強烈な地震が発生した。1分後、ネット上に福島原子力発電所の稼動中の3機の原子炉が自動的に停止したというニュースが流れた。最初、このニュースを見た時、日本は地震の多い国であり、深刻にとらえていなかったが、まさか原子力発電史上、これほど深刻な事故に発展するとは全く思ってもいなかった。
事故の回顧
原子炉は連鎖反応は止められたが、まだ余熱や核分裂生成物の崩壊熱が残っていた。その余熱をシステムから導き出さなければ、核燃料が熱で溶ける「炉心溶融」が起こる。最初の段階ではこの3機(1、2、3号)はいずれも正常であった。しかし、地震後1時間、大津波が発電所を襲い、平常時の冷却水用電源を壊しただけでなく、非常用のディーゼル発電機までも破壊した。この3機の炉心温度と内圧が持続的に高くなった。11日夜10時ごろ、東電はこの事故を公表した。炉心温度が持続的に高くなると、核燃料を包む被覆材のジルコニウム金属が水と反応し、水素が発生する。水素は非常に爆発しやすく、原子力発電で如何に防止するかが重要な問題である。1、3号機は格納容器内の圧力を逃がすために、弁を開け蒸気を外へ逃がした。そのため、弁を開いて放射性物質を含んだ水蒸気を大気中に放出した。この作業により、敷地境界域で1015μSv/hの放射線を確認。燃料棒も一部溶解。12日夜、日本初となる原子力緊急事態宣言が発令され、周辺半径20kmの住民には避難指示が出された。
しかし、その後1、3号機で連続して建屋内で水素爆発が起こり、建屋の天井などが吹き飛ばされた。2号機は弁を開けて減圧する操作をしなかったが、なんらかの爆発が起こり、圧力抑制室が破損し、遮蔽の作用を失った。直ちに3機とも核燃料が水面から露出し、「炉心溶融」を起こす危険性が発生した。12日夜、冷やすために海水の注入を開始した。海水は原子炉部品を著しく腐食するため、この措置は東京電力が、三つの原子炉を放棄したことを意味する。悪いことは続いて、15日、定期点検中の4号機が爆破、火災が発生、露出した核燃料により、発電所敷地内の放射能の量が急激に上昇し、50人のスタッフを残して大部分のスタッフは避難せざるを得なくなった。その後、ヘリコプターなどによる放水も行われた。3月18日、経済産業省原子力安全・保安院は1~3号機の事故の深刻さを示す国際評価尺度(INES)を、8段階のうち3番目に深刻な「レベル5」にすると発表した。明るいニュースとしては、原子炉の冷却機能の回復を目指した電源復旧作業がうまくいっていることである。
原子力発電への反省
今回の原子力発電所事故は最終的にどうなるかまだ分からないが、原子力発電の発展に対して、初歩的な反省をしてみよう。
事故全体の過程を見れば、少なくとも三つの主要な問題が現れている。
1、原子力発電所における基本的な設計基準に対する再検討の必要性
2、運転中の原子力発電所の設計上の欠陥に対してどのように補うか
3、原子力発電所のような人類がまだ完全に理解していない複雑な工業システムにどのように対処するか
米国が原爆開発のマンハッタン計画を完成した後、大規模に商用原子炉を造り始めた。今から見れば、これはまだ原子力発電所の安全性に対する基本的な理解が欠けている状況下で始めたあまりにも性急な行動だったと言える。原子力発電所の総合的なリスクを解析的に評価する最初のものとして、WASH-1400報告が米国で1975年に完成され、その後の原子力発電所の安全研究の発展方向に極めて大きい影響を及ぼした。この報告の一つの重要な結論は、確率の小さい事件が重なれば、大きい災難をもたらすということである。その4年後に起きた米国のスリーマイル島原子力発電所事故はこの結論を証明した。
スリーマイル島の事故は、はじめて世界の原子力発電工業に大きな打撃を与えた。米国ですべての原子力発電所に対して、全面的な安全性の評価を行った後、新しい原子力発電所の建設を完全に停止した。しかし、20数億ドルかけて、スリーマイル島原子力発電所の事故に対し、詳しい研究を行った。その研究を基礎に新しい原子力発電所の安全基準を創立し、所謂第3世代の原子炉を開発した。これらの新しい原子炉の基本的な特徴は、固有の安全性を高めること、例えば冷却剤の受動的安全注入系のようなもの、つまり外部電源を必要とせず、システム固有の能力に頼って冷却剤を注入して炉心を冷却し、同一の原因で複数のシステムの同時障害を起こす事故の発生を防ぐ。福島事故はこれらの要求の正しさを実証したが、上述の研究はまだ「外部事件」例えば巨大な津波に対して十分な検討をしていないと言える。
それ以来10年、原子力発電工業の人気は少しずつ回復したが、1986年に発生したソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故は徹底的に世界の核工業を震え上がらせた。この事故は原子力発電所に関する安全性の分析のもう一つの結論を実証した。すなわち、80%の原子力発電所事故は人為的な要素が原因であり、また、これらの人為的な要素のうち80%が企業組織と企業文化が要素である。原子力発電所の安全性における人為的な要素の支配的役割は、現在の原子力発電所の設計における固有の安全性の深刻な欠如を反映している。
この二度の大事故の後、世界の核工業界は各種の設計基準を超える事故について広範な研究を行ったが、そこから誕生した第3世代の原子炉はやはりいくつかの肝心な安全問題、例えばテロ活動や戦争を完全に解決できない。現在、加圧水型原子炉の安全基準は小型の飛行機の直接衝突に耐えられるが、テロリストが大型の旅客機をハイジャックして自殺した米国911事件のような行為には対抗できない。スリーマイル島、チェルノブイリと福島はいずれも確率が百万分の1ないし10万分の1より小さいと思われることによって発生し、また100年間で二度の世界大戦が発生し、数十回の局地戦争、数え切れない数のテロ攻撃があった。人類はこれらの事件の中で安全性の保障を確保できるかどうかが、原子力発電が直面する最も基本的な問題でもあり、そして困難でもある。
米国の第3世代原子炉AP1000は設計の洪水水位が100フィートであるが、現在運行中の多くの原子力発電所は設計基準がその3分の1しかない。スリーマイル島事故発生後、人々は原子力発電所のセキュリティー上のリスクがあることを意識したが、これらの原子炉を停止し、大規模な救済策を講じる必要があるとは考えていなかった。チェルノブイリ事故後、人々はその安全性が現在稼働中の多数の原子力発電所よりずっと低いと思ったに過ぎなかった。しかし、福島の事故は人々の最後の幻想を打ち破った。人々はほとんど絶対に発生し得ないと思われていた事故がわずか数十年間ですでに3回発生した。現存する4、500の原子炉は大多数そのセキュリティーが福島原子力発電所と同じレベルにあり、何を喜捨するかは、いずれ選択をしなければならないだろう。
原子力発電所は現在の人類の造ったものの中で、最も複雑な工業システムであり、セキュリティーと技術に対する要求も最も高い。人類はすでにそれに対して無数の財力をかけて研究を行ってきた。しかし現在、人類の認識水準はこれらを系統的にはっきり理解するところまではぜんぜん至っていない。それらの未知の要素は人類社会に対して巨大な影響を及ぼし、商業活動における利益追求の特徴は企業のセキュリティー文化と組織を深刻に歪曲し、80%の根本的なセキュリティー要素にも影響を及ぼしている。これらの基本的な問題に対する判断と選択は、すでに回避できなくなっている。
※李旭彤 元中国環境保護部・核&放射線安全センター研究員。放射線防護の専門家で、現在日本在住。