【大紀元日本4月29日】99年4月25日。日本の各メディアは、中国共産党(中共)の策略にまんまと騙された。
1949年に政権を掌握して以来、中共は様々な政治運動を策動して大衆動員型の「巨大な暴力」を振るうとともに、巧みなプレゼンテーションによって中国のみならず日本にも中共とマオ(毛沢東)の熱狂的な信奉者を生み出す「壮大な嘘」をついてきた。
その「嘘と暴力」という中共の本質を最も如実に表し、罪もない善良な人々に襲いかかったのが、1999年から今日まで続く、法輪功学習者への苛烈な弾圧・迫害であった。
重なったミスリード
12年前のこの日に北京で起きた事象について、比較的正確に報道した海外メディアもあったが、残念ながら日本の各メディアは、その可視的な部分のさらに一部だけを切り取り、概ねこう伝えた。「法輪功の信者約1万人が、組織的に集結して中南海を包囲し、中国政府に圧力をかけた」。
手元に当時の大手新聞数紙の切り抜きがある。「信者」「1万人」「組織的」「中南海を包囲」「政府に圧力」。どれも言葉ばかりが踊る報道で、真実から乖離している。それは、法輪功に対して「異様な集団」というレッテルを貼り、日本の読者に偏見と誤解をもたらすのに十分なものであった。
海外メディアを操作してそのようなミスリードを誘発させることが、まさしく中共の目的であるわけだが、日本のメディアや有識者はそれに加えて中国史上の事件、例えば黄巾の乱や太平天国の乱といった宗教集団の反乱を引き合いに出して、法輪功を無理やりそれに当てはめて説明しようとした。ミスリードが重なったのである。
真相は次の通りである。
法輪功(ファルンゴン)は、宗教ではなく、心身に良い効果をもたらす健全な気功修煉法である。それを学ぶ人は修煉者または学習者であり、信者ではない。迫害前、法輪功は党の高層部も含め多くの人に愛好されていた。そのことに危機感をもった江沢民とその一派が、96年ごろから不当な圧力をかけ始めていた。
1999年4月11日、天津で法輪功を誹謗する出版物が発行された。同23日、天津の法輪功学習者がその訂正を求めたところ、警察が45人を拘束。天津の警察が学習者に、北京へ行って陳情するよう指示した。
4月25日、北京の陳情局付近へ集まって静かに待つ学習者らを、北京の警察が誘導して中南海の壁沿いに立たせた。
こうして中共は、「法輪功、中南海を包囲」というシナリオ通りの設定にした上で、海外メディアに配信させたのである。
7・20大弾圧の口実づくり
つまり、中共はここで法輪功を「反政府・反社会的な集団」と決めつけ、同年7月20日から始まる大弾圧の口実を設けたのである。
法輪功学習者が大勢集まって、当局が驚愕したために弾圧が始まったのではない。
「警備の盲点を突いて1万人が集まった」というような日本の報道も散見されたが、天津から北京へ事前の連絡がなされていることは確実であり、政府要人が住む中南海周辺において、厳重な警備の盲点を突くなどは絶対にありえないのだ。
また「1万人」という人数について、「組織的に動員しなければこれほど集まるはずがない」とする日本のメディアや評論家は、法輪功に対して初めから大きな誤解をしている。
当時、中国国内だけで7千万人以上、北京だけでも数十万人はいたとされる法輪功学習者のうち、25日の日曜日に1万人が集まるなど、いとも簡単なことなのである。「1万人」は学習者が互いを思いやった自然の結果であり、「組織的な動員」などしていない。
陳情局付近に集まり、警察の誘導によって中南海の壁沿いに立たされた法輪功学習者は、声も出さず、静かに本を読んで待った。もちろん反社会的な行為は一切なかった。
当時の首相・朱鎔基氏はこの時、自ら中南海を出て法輪功学習者と対面し、代表者を中に招き入れた。朱首相は、学習者の話を誠実に聞き、信仰の自由が保障されるべきことに同意を示すとともに、すぐに天津で拘束されている学習者を解放するよう指示した。
夜10時ごろ、問題が円満に解決されたことを知った学習者は、周囲を清掃して静かに解散。それは中国現代史の中で、国家と民衆が穏やかに対話した、最も理想的な結末となるはずであった。
しかし中国人にとって最大の不幸は、江沢民という、人気のある他者に対して狂気的な嫉妬心を抱く人間を国家元首にもったことと、中国共産党という、唯物的無神論に貫かれた政党が強権的独裁を行っていることであった。
法輪功への凄惨な迫害は、12年経った今も続いている。
その真相は、4・25の真実を正確に知ることから見えてくる。