【大紀元日本10月22日】悦悦ちゃんが亡くなった。ここ数日、中国広東省佛山市の街角にある監視カメラに写された映像が世界を震撼させた。よちよちと歩く2歳の女児・悦悦ちゃんが2台の車に轢き逃げされ、18人の通行人に無視された。重体の悦悦ちゃんはその後病院に運ばれたが、21日未明、入院先の病院で亡くなった。
悦悦ちゃんを助けたのは、19人目の通行人だった。19人中わずか1人が助けの手を差し伸べた。その確率は5%。昨年中国紙・中国青年報がウェブで行った「転んだ老人を助けるか」のアンケートでは、13万人の投票者のうち「助ける」と答えたのは4%。2つの数字はほぼ一致している。つまり悦悦ちゃんがたまたま運が悪いわけではなく、あの18人もごく普通の中国人と言える。
悦悦ちゃんの事件後、中国の首都経済大学などの3大学は17日、社会信用問題に関する意識調査の結果を発表した。「街頭で倒れた老人を誰も助けない」理由について、「後が怖いと考えるから」と答えたのは全体の87.4%に上った。一方、「倒れた老人を助けるべきか」について、64.8%が「助けるべき」、26.9%が「状況による」と回答した。
中国人の心には「助けるべき」という道徳観が存在しないわけではない。それでも「助けてはならない」という心理を促したのは、「『善行』をすれば賠償や裁判沙汰になりかねない」ということへの危惧からなのだ。
この危惧の原点となったのは2006年に南京市で起きた彭宇事件。彭宇という青年は転んだ老婦人を助け起こし、親切心から病院へ連れて行ったが、老婦人は逆に彭宇さんが自分を突き飛ばしたと主張し、諸費用13万元(約155万円)の支払いを求める訴訟を起こした。裁判所は「彭宇に本当に正義心があるなら、老人を助け起こす前にまずは犯人を捕まえるはず」「彭宇は老婦人を突き飛ばしたことの後ろめたさから病院まで送った」などと推定し、7万9000元の支払いを命じた。
この裁判は後に、老婦人の息子が南京市の警官であることが判明。目撃者からの聞き取り調書は、紛失したとして警察署からの提出はなかったという。多くの国民は判決が不当と主張しながらも、「第二の彭宇になりたくない」という心理から、転んだ老人を見ても助けない風潮が広がった。
悦悦ちゃんのそばを素通りした18人も頭に彭宇事件がよぎったのだろう。2歳の幼女と衝撃的な映像という今回の事件の特殊性から世界の注目を集めているが、この種の事件は中国で決して珍しくない。善行をしてもトラブルに巻き込まれ、自身の身に不幸が舞い降りかねないと中国人は「学習」したのだ。
この学習は、何も老人助けの事例からだけではない。四川大震災で「おから学校」の下敷きになった子供たちの運命を嘆き、二度と同じ惨劇を起こすまいと調査報告をまとめた譚作人氏は、「国家政権転覆罪」で投獄されている。そんな譚氏を支援し、また、毒ミルクで被害に遭った子供たちのために奔走する芸術家の艾未未氏も、軟禁や拘束などの目に遭っている。人権弁護士の高智晟氏は汚職役人の告発や中国当局に弾圧されている法輪功学習者のために声をあげたため、「国家政権転覆罪」の判決が下され、当局からリンチ・拷問を受け、今も行方不明となっている。
このような司法の暴力と専制の残虐に冒されている中国社会では、善意とモラルを守ることは時に大きな犠牲を伴う。「中国共産党とその政権が一貫して政治や法律の手段で『見義勇為(正義のために勇敢に戦う)』の士と『惻隠の情』を堅持する人を残酷に弾圧してきた」。悦悦ちゃん事件後に、米VOAが評論家の見方を引用してこのように事件の根源を指摘し、中国古来の美徳が共産党政権の暴虐性により根絶に瀕したと憂えた。
悦悦ちゃんが車に轢かれた日と同じ13日に、浙江省杭州市西湖に幸運な人がいた。湖に転落した女性が、通りすがりのアメリカ人観光客に助けられたのだ。ところが翌日の環球時報(人民日報傘下)では、「このアメリカ人にちゃんと『観光客』をしてほしい」と題する社説を掲載した
13日、浙江省杭州市西湖でアメリカ人女性が転落した女性を救助(ネット写真)
。「自身の趣味からか、中国を転覆させるという『新たな使命』からか、彼女(アメリカ人)は中国メディアが報じた『ヒーロー・ショー』を楽しんでいるようだ。しかもアメリカ人であることをしきりにアピールしている。彼女は一番分かっているはずだ。自分がネットユーザーが言うほど『偉大』でもないことを」と、このアメリカ人女性の人助け行為を冷やかし、非難した。
一方、中国外務省の姜瑜報道官は20日、悦悦ちゃん事件が引き起こした論争について、「我々は法治社会だ。法律に基づき、公民の言論自由を含む各種の権利を保障するのだ。関連案件についても法律に基づき処理する」と、いつもの口調で断じた。