何清漣:中国人最後の面子が崩壊した楊武事件

2011/11/22 更新: 2011/11/22

【大紀元日本11月22日】最近中国で注目されている「楊武事件」(訳者注・広東省深セン市在住の楊武が、目の前で警備隊員の楊喜利に強姦されていた妻を助けなかった。この一件がメディアに報道され、中国全土を震撼させた)。楊武のひ弱さが各メディアの取材の焦点になっており、人々はメディア報道の「倫理のガイドライン」も議論し始め、熱い討論を醸し出している。殺到する各種の非難や同情、反省について、私は、楊武のいくじのなさに国民の堪忍袋の緒が切れたと言うよりも、楊武事件を通して人々は堪え難い社会土壌と生存環境に気づいたからだと思う。事実上、強権と暴力の前で、楊武のように行動してしまう卑怯者は多数おり、楊喜利同様、些細な権力を濫用して虎の威を借る狐のようになる者も大勢いる。中国国民で、このどちらかに属する者は少なくない。また、両方の特徴を持つ人もいる。自分の目の前で妻が悪人に強姦された。人間の最低限の尊厳を著しく踏みにじる事件を通して、楊武の卑怯さと意気地のなさがインターネットとメディアによって徹底的に公に暴露された。彼の不幸はまさにここにある。

中国人の尊厳はどのようにして喪失されていったのか

楊武事件は人間の尊厳に関わっている。しかも、人間として人間でいられるための最低限の尊厳だ。楊武に対して、私は「彼の不幸を悲しく思うと同時に、彼のひ弱さに怒りを覚える」としか語れない。人々が無数の理由を挙げて彼に理解を示し同情を寄せたとしても、2時間にわたり妻が目の前で強姦されていたのを無視し、何も行動を起こさずに完全に妻を裏切った事実は動かせない。自分が持ち合わせていた最後の微かの尊厳を捨ててしまった。強姦した警備隊員の楊喜利のような人間は、古来から現在までいつの時代にも生息しているが、現在の共産党時代においてとりわけ多い。この点について、私はずっと前から、「エリートがならず者化し、下流社会はごろつき化した」と説明してきた。

しかし、楊武の卑怯、ひ弱さ、自己生存を人格・尊厳よりも重視するという特質や観念は、彼が生まれ育った中国社会が生みだしたものだ。長距離バスの中で、婚約者の女性が性的嫌がらせを受けているのに、男性側がそれを無視するという事件は、これまでに中国で何件も起きていたが、楊武事件は、インターネットのおかげで、全国に知れ渡るようになった。強姦した犯人の母親は事件後、被害者の女性が自分の息子を誘惑したと公の場で正々堂々と発言している。ここまでいくと、社会は病を患い、人も病を患っているとしか言いようがない。かなりの数の人間がすでに一般的な良識を失ってしまっている。犯人の母親は良識を完全に喪失している。病の根底には、人間としての生命の意義が尊厳であることが分からなくなった事実がある。しかし、中国人の人格と尊厳は、楊武が失っただけではなく、遥か以前から生活の中で皆が徐々に失ってきた。皆は見て見ぬふりするだけなのだ。

ここ30年間の男性の最愛の姉妹や妻に対する態度から、中国人の人格・尊厳が喪失したことが的確に裏付けられる。1990年代半ばから、中国下流社会の多くの人々が、姉妹や妻を貧困脱出の道具に使ったのを、私は自分の目で確認した。東南地域の沿岸部で暗躍する巷の安売り売春婦の多くは、家の貧困脱出のため、あるいは家を建てるため、または兄弟の結婚費用を稼いでいた。当時、我々のような大学教育を受けた者の月収が1~2千元しかない時代に、これらの小・中卒の農村の女性たちは、家族に数千元、数万元の大金を仕送りしていた。家族はもちろん、彼女たち自身、どういう仕事をしているのかを知ってはいるが、金がまだ足りないとばかり思っている。

その当時、私はまだ国内にいた。メディアはこれらの現象を、主に二つの理由から生じたものと報道していた。つまり人間そのものが堕落したか、自分の両親が病気を患っているため、生計のために余儀なく売春しているかのどちらかだという。しかし、私が調べた結果、多くの人はそれらの状況には属さない。彼らは妻や姉妹の色気を一種の「資源」として活用している。社会学の視点からの調査ではないため、「灰色の女性とその他」という文章でつぶやいただけだった。

中国紙「南方週末」の2002年12月19日付け報道「『鶏頭』に変えられた村」は、「売春するしかない」という彼らの言い訳を根底から覆した。取材調査の結果、湖南省溆浦県低庄鎮の25つの村では、「鶏頭」組織(訳者注・中国では売春婦に「鶏」という蔑称をつけている、鶏頭はすなわち売春をあっせんする人のことである)が千人余りの少女と若い女性を募って売春させ、貧困脱出を図っており、その経緯をまとめている。まず、鶏頭が少女を誘拐して売春宿に送り込んだ。被害者の家族は始めのうちは抗争していたが、娘の稼ぎで貧困脱出できてから、心安らかに売春の事実を受け入れた。周りの村民たちだが、最初のうちは売春で富を築いた家族を軽蔑していたが、そのうち次第に羨ましくなり、ついにその跡を追い始めた。最後はなんと、村の若い男性の妻選びの最重要条件が容姿となった。美人であれば、大金を稼げるからだ。

これまで、下流社会のメンバーたちを非難してきたが、中国の中上流社会も堕落し続けている。

産業界の性的賄賂から、公務員が出世のため妻を貢ぐ

性的賄賂は90年代後半から盛んになった。当時は、自分と血縁がないか婚姻関係もない美貌の女性を大金で養い、収賄する側に貢ぐ。例えば、福建省の陳凱が愛する美貌女性を、1人の中共幹部も気に入った。その幹部に便宜をはかってもらうため、陳凱は一大決心して最愛の女性をこの幹部に譲った。

今世紀から始まった性的賄賂は、男の尊厳に挑んでいる。当初は上級の幹部が部下の女性公務員に肉体を貢ぐよう要求し、その見返りは昇進などの「面倒見」だった。夫は見てみぬふりをしていた。国内で公で議論された典型的な人物は、重慶市公安局の刑偵総隊の共産党書記、総隊長の陳光明だった。この幹部は本職以外に、中共の17回人民代表会議の代表や、第五回「中国十大女性」などの政治的にも名誉ある栄冠を与えられてきた。(訳者注・彼女は昇進するために、直属の上司である重慶市公安局の共産党副書記、副局長の文強被告に体を貢いでいた。後者は後に重大汚職で逮捕され、捜査線上でこの2人の肉体取引関係が判明した)。

その後、男性の幹部は上司に賄賂を送るために、自分の妻を貢ぎ始めた。このようなケースは幹部の汚職事件で度々公にされてきた。例えば、中国河南省開封市共産党委員会の組織部長・李森林が、部下である300人以上の女性公務員と男女関係を持った事例が後に判明したのは、その中の一部の女性は夫の昇進のために自ら体を奉仕した。うわさでは、李森林はこの種の女性を「貢女」と呼んでいた。

このような事情は本質上、貧しい農村の人々が妻や姉妹に売春させるのと何の違いもない。皆、妻の体を商品として利益と交換する。異なる点を敢えて指摘するならば、交換する者の社会的地位が高ければ高いほど、交換品のランクも高くなる。巷の小市民は妻や姉妹の体で金を得る。幹部は昇進を得る。後者の人格は、妻や姉妹に売春させる貧乏人同様、高尚ではない。その本質はともに「取引」である。取引の目的を達さなかった者は、怒り心頭で裏を暴露した。李森林の案件は、利益を得られなかった100人余りの「貢女」が集団告発したことで明らかになった。

これらの男女の公務員が、妻および自身を売る行為は、楊武より百倍も下劣である。前者は暴力の脅迫を受けてもいないのに、人間の倫理の最低限の基準を破って取引に走りった。その目的は性的取引で政治的便宜をはかってもらうためで、魂と肉体の両方を売る二重の卑劣行為だ。楊武さんのケースは、弱者が野蛮者の暴力的侵害を前に、抵抗する意志を失った、完全にひ弱な人間と言える。

人々はよく「道徳が堕落している」という言葉でいまの中国人の現状を形容しているが、実際には、上記の現象はすでに道徳の堕落では語りつくせない。恥知らずで人間としての必要最低限の羞恥心を完全に喪失してしまった。楊武事件は実に、中国人が最も直視したくない、認めたくない、自国の真の現状を暴露した:中国人はすでに人格の尊厳を完全に失った。私がこの文章を書いたのは、楊武のような卑しい哀れ者を非難するためではない。彼は今後、名前を変えてみんなの視線から消えて、新しい生活を再スタートすればいい。しかし、中国人はこの事件を通して、真剣に反省してほしい。なぜ、いまの中国には、楊武や楊喜利のような人間が盛んに現れているのか。この反省がないと、この種の恥辱は永遠に中国人に付きまとうことだろう。

注:何清漣 

ニューヨーク在住の中国人経済学者・ジャーナリスト。54歳、女性。中国湖南省生まれ。混迷を深める現代中国の動向を語るうえで欠かすことのできないキーパーソンのひとりである。中国では大学教師や、深セン市共産党委員会の幹部、メディア記者などを務めていた。中国当局の問題点を鋭く指摘する言論を貫き、知識人層から圧倒的な支持を得たが、常に諜報機関による常時の監視、尾行、家宅侵入などを受けていたため、2001年には中国を脱出して米国に渡った。1998年に出版した著書『現代化的陥穽』は、政治経済学の視点から中国社会の構造的病弊と腐敗の根源を探る一冊。邦題は『中国現代化の落とし穴』。

(翻訳編集・叶子)
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