<赤龍解体記>(76)温家宝首相、北京豪雨で死者多数に至った「共同的責任」を拒否

2012/07/30 更新: 2012/07/30

【大紀元日本7月30日】北京市当局は、今回の北京豪雨での死者数を当初の38人から77人に修正した。しかし市民たちは、なおも当局の発表に疑惑をもっており、実際の死者数は少なくとも千人以上と見られている。従来は、災害や事故発生直後には現場に急行し、救援活動を指揮することで「消防隊長」とあだなされている温家宝首相は今回、異例にも他の常務委員同様姿を見せず、災害についてのコメントも控えている。

関係筋の情報によると、温家宝首相は、北京豪雨での死亡者が多数に至った責任を自身に転嫁されるのを拒んだうえ、他の常務委員と共に「共同的責任」を背負うことも拒否したという。

温家宝首相は2004年7月11日の北京豪雨の時は、豪雨の収束前、災害現場にいち早く到着し、救援活動を指揮したり被災者を見舞ったりした。また北京市政府には、「北京市建設の問題点を反省すべき」とした上で、「さらなる降雨に備え、電気の供給、交通や家屋、とりわけ危うい老朽化住宅の安全性を確保するよう」と指示した。

しかし、今回は他の常務委員と同様、現場には姿をみせぬうえ、コメントも控えた。豪雨数日後の7月26日、「人民日報」は「国務院の委託により、国務院民政部李立国部長が12の関係省による国務院救援チームを率い、北京市房山区周口店と城関鎮の被害地に赴き、被害状況を調査した」と報道したが、この挙動は高騰した市民たちの憤りを撫で下ろすための象徴的なものであったと思われる。つまり、同じ北京市の豪雨災害に対し、温家宝首相の対処はこれほど異なったのである。それは何故か。

中共権力構造の中で、北京は特別な重要性を持ち、中共政治の中枢とされている。北京を握るのは従来、行政側の国務院ではなく、党の中の実力派に掌握されるのが通例である。したがって、要所北京を支配することができれば、中国の政治中軸を手にすることができるのである。十年来、北京は江沢民氏の腹心である周永康氏や劉淇氏(元北京市トップ)に握られていた。

そのため、北京豪雨で重大な災害発生後、高まりつつあった市民たちの憤慨に対し、胡錦濤国家主席と温家宝首相は共に沈黙を保ち続けたのである。

7月4日の中共北京代表大会で劉淇氏が年齢制限により引退することになり、かわりに、胡錦濤団派の重鎮と見られる郭金龍元北京市長が北京市トップに就任する見込みであった。市民の責任追及の声が高まる中、郭金龍氏はやむをえず市長の職を辞した。そして「人民日報」からも指名批判された。つまり、思わぬ豪雨により、胡錦濤勢力は江沢民勢力の失政の責任役を余儀なくされ、受動的な態勢にたたされているのである。

一方、7月28日の『人民日報』と『解放軍報』は、トップページで胡錦涛主席の功績を称賛し、軍人たちは「胡錦濤の談話を学習すればするほど励まされる」などと報道した。これは、間もなく開催される「北戴河会議」(北戴河での避暑を理由に、指導部における重大人事決定や政策策定をめぐる秘密会議)で軍隊や国内情勢における主導権を握っている胡錦涛体制を内外にアピールするものと思われる。

北京豪雨により、中共の各派閥の方向性や実力が次第に明らかになってきたと共に、中共崩壊の兆しもより一層明朗化し、そしてそれへの対応や態度においても袂を分かつ様になってきている。要するに、温家宝首相は、胡錦濤主席と同じように沈黙を保っているが、両者の間には質的な差があるものと見られている。

(翻訳編集・呈工)
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