「おばあさんを家まで送り届けた雷鋒」、写真にいるおばあさんは宣伝関係者の親戚で、撮影のために登場したと判明した(ネット写真)
【大紀元日本3月11日】中国共産党のプロパガンダ目的で英雄に祭り上げられた人物は数えきれないほどいるが、中に最も息が長い「雷鋒」という軍人がいる。他人を最優先し、自己犠牲を厭わない無私の象徴として偶像化された国民的な英雄である。1963年3月5日に毛沢東によって、「向雷鋒同志学習(雷鋒同志に学べ)」運動が始められ、以後50年間にわたり記念キャンペーンが展開されている。わずか22歳の若さで他界したにもかかわらず、彼にまつわる物語は教科書、映画、ドラマを通じて今も語り継がれている。
今年もキャンペーンに合わせて、雷鋒が小学校卒業から事故死するまでの成長の過程を描いた映画「青春雷鋒」、「雷鋒在1959」、「雷鋒的微笑」の三部立てが全国上映を予定している。しかし、南京と西安の7つの映画館で上映されたが、入場券は1枚も売れず、上映中止という事態となった。
湖南省の貧しい家に生まれ、幼くして父母を亡くし、1958年、製鋼所の労働者となった。60年解放軍瀋陽部隊に入隊し、62年8月作業中の事故で死亡。彼の生い立ちはインターネットで検索しても簡単な記述しかなかったが、「雷鋒」を入力すると、後ろに「真相」というキーワードが自動的に表示される。共産党が50年をかけて築き上げた英雄の真贋に疑念を持つ人は少なくないようだ。
常に人への奉仕を心がけている雷鋒の物語は「雷鋒日記」という彼の死後に「発見」された日記と写真に基づいたもので、そこに彼の数々の善行が記録されていた。
「旧正月は休んだことはない。元日、鍬を持って糞拾いに出かけた。一日、300斤(1斤は0.5キロ)くらい集めて、近くの人民公社に持って行き、皆に喜ばれた」、「貴重な糞は近隣の子どもたちが残したもの」
「撫順市望花区人民公社が設立されたため、200元(1元は約15円、以下同)のお祝い金を送った。遼陽地区は洪水で被災したため、100元の寄付金を送った。同僚の父親が重病にかかったため、10元の見舞金を送った。ある女性が乗車券と所持金を紛失したため、乗車券を買ってあげた」
しかし、よく読むと、突っ込むところ満載の内容だった。子どもの排泄物はせいぜい数百グラムの重さで、一日に150キロほどを集められる場所はトイレよりも排泄物が多い劣悪な住居環境になる。
そして、体を張っての善行のみならず、寄付金などにも糸目をつけなかった「無私」の様子が浮かび上がったが、当時、軍人の手当は高くても8元だった。ここの記述だけで各種寄付金は300元を超えている。死亡するまで2年8カ月軍隊に在籍し、総収入は多く見積もっても256元しかなかったはず。
また、「毛沢東選集」を学んでから、散髪の腕が上がり、不合格だった手榴弾投げが合格するようになったなど毛沢東思想を絶賛する内容が随所に見られる。
日記のほか、善行現場を記録した写真も200枚以上残されている。「おばあさんを家まで送り届けた雷鋒」、「真新しい軍服で車を拭く雷鋒」、「同僚の布団カバーを縫い付ける雷鋒」などなど。当時の中国では、写真は年に1、2枚を撮影するほどで庶民にとって贅沢なものだった。しかも、善行を行っても名乗らないと宣伝されていた雷鋒だが、なぜかカメラマンはいつも「タイミングよく」その場に居合わせていた。
1963年前後の中国では毛沢東が推進する大躍進の失敗で5000万人が餓死したと言われ、党と政府の威信はどん底に落ちていた。中国網昨年2月13日の記事で「毛沢東に妙案が浮かんだ。青少年に対し、固い信念と遠大な共産主義の理想を教育するために、雷峰は絶好の教材であり、モデルになるのではないか」と記述していた。政治浮揚のために、雷峰に白羽の矢が立ったわけだ。
これほどバレ易い内容にもかかわらず、当時の中国人は「まったく疑問に思わなかった」と信じきっていたという。「雷鋒に学べ」運動は全国で繰り広げられ、雷鋒記念館が建てられ、善行は政治的な任務となり、すべての人が自分の善行を報告するよう義務づけられていた。
一方、その後の中国では文化大革命など一連の政治運動を経て、多くの人は人間不信に陥った。かつて「人を助け合う」五十年代から、「人を批判し合う」七十年代(文化大革命の時期)を経て、現在は「人を害し合う(有毒食品の横行を意味する)」時代となった。そして深刻化する一方の幹部の汚職問題は拍車がかかり、「雷鋒に学べ」運動は形骸化し、雷鋒もいつしか「ばか者」の代名詞となった。
2003年、中国紙「華西都市報」は雷鋒が所属していた瀋陽軍区の宣伝要員を取材したところ、「写真は事前にシナリオを決めて登場人物やポーズ、笑顔まで打ち合わせた上での撮影だった」、「善行をさせようと雷鋒を各地に連れ出した」、「日記は死亡後に作成チームを組んで書き上げたもの」、「おばあさんは関係者の親戚だった」とねつ造の数々をカミングアウトした。
先日、「国民に雷鋒を学ばせる幹部は和珅に学んでいる」という書き込みがインターネットに投稿された。和珅は清朝の政治家で地位を利用し専横の限りを尽くし、収賄によって巨万の富を得た人物だった。ねつ造された英雄をもって国民に善行を強要する一方、幹部らは私腹を肥やしている。共産党の洗脳教育に翻弄されてきた国民はそのやり方に嫌気がさしている。興行収入ゼロの雷鋒映画は国民の嫌悪感をあらわにしたものとなった。