習近平国家主席が、中国軍の改革と再編成を進めている。この再編成により、軍級部隊である「集団軍」5つが廃止されることになったが、その中には1989年の六四天安門事件で学生や市民らの大虐殺に深く関わったとされる、旧27集団軍も含まれている。
中国軍が明らかにしたところによると、習主席は15年12月、第27集団軍の指揮機関と直属の分隊を山西省に移動させ、16年1月5日付けで石家庄の駐屯地を移管するよう指示を出した。それを受け、旧27集団軍の最後の部隊が15年12月27日に駐屯地を離れ、石家庄の指揮センター、兵舎及び5100万元(約8億2500万円)が、新たに設立された中部戦区陸軍機関に引継がれた。その結果、旧27集団軍は今回の軍改革が始まってから最初に再配属が完了した軍級部隊となった。
第27集団軍の駐屯地の変更は2省3市にまたがるうえ、数千人の将兵、装甲車等1000台余りの大移動となったため、周辺への影響を抑えるために、全ての移動は夜間と週末に集中して行われた。
以前に報じられたところによると、新たに設立された中部戦区は、司令部が北京に据え置かれ、陸軍機関の駐屯地は河北省石家庄に設けられた。中部戦区の司令官に任命された韓衛国は、北京軍区の副司令から直接抜擢された人物で、習主席の直属部下に当たることが外部から注目されている。
今年4月18日、軍委主席習近平が北京に集められた新たに編成した84の軍級部門のトップと会見し激励した。4月下旬、国営メディアの環球軍事網は、陸軍の18の集団軍が再編成により13に削減され、その中には第27軍に所属していた5つの集団軍の廃止も含まれていたことを報じている。残された13の集団軍には新たな編成番号が振り分けられ、71軍から83軍に編成しなおされた。
香港メディアの明報は、今回の再編成の目的の一つは、軍内派閥の解消を狙ったものだと指摘している。また、廃止された集団軍も全体ではなく軍部だけが廃止されたにすぎず、作戦部隊は陸戦隊と改称されたりその他の集団軍に編入されたりすることも報じている。
海外の分析によると、習政権にとって今回の軍隊改革の本当の目的は軍の指揮権を江沢民派から奪回することであり、これまでの江沢民派腐敗勢力を解消し、新たな派閥や独自勢力を形成されないため、すべての指揮系統の人脈関係を崩す手法を取っているようだ。例えば、各級の指揮官とその補佐や直属の部下を互いによく知らない人物で組み合わせた上、異軍区・異軍種間の異動も含めて頻繁に指揮官の異動を行い、重要ポストから江派勢力の人物を外し、さらに多くの若い将校を異例に抜擢したりする。つまり、常に新しい環境新しい仕事に馴染む状況を作り、派閥や独自の勢力を形成する余裕がないようにさせることにしている。
以前の報道によると、第27集団軍は89年の六四天安門事件の際に、当時の国家主席楊尚昆の直属部隊であり、多くの北京市民や学生らを容赦なく虐殺するという極めて残忍な行為を行った部隊の1つだったことが明らかになっている。今回行われた新番号への振り分けは、歴史に刻まれた汚点を拭い去ることも意図していたと思われる。
確かにこれで、第27集団軍の名前は中国陸軍から消滅した。だが、この部隊が89年6月4日の愛国学生運動に対する弾圧に加担したという事実は、決して拭い去ることはできない。
(翻訳編集・島津彰浩)