「私たち家族の経験してきたことは、言葉では言い表せるものではありません」。新潟県新潟市に住んでいた横田さん一家の長女めぐみさんは13歳の時、行方不明になった。のちに、北朝鮮による計画的な日本人拉致が明らかになった。2002年、5人が帰国したが、まだ多くの被害者は北朝鮮に残されたまま。「終わることのない苦しみ」米政府系放送ボイス・オブ・アメリカ(VOA)の取材に応じた母親の横田早紀江さんはこう答えた。
「小さい頃、めぐみは明るく活発な子でした。おしゃべりで、庭や外を走り回っていました。石ころや葉っぱ、イチジクの木が好きで、自然を愛しているようでした」横田早紀江さんは、めぐみさんの幼かった頃のことを語った。
1977年11月、新潟市内の中学校で、バドミントン部に所属していた中学1年生の横田めぐみさん(当時13歳)は、部活の練習を終えて帰宅途中、行方不明になった。失踪してから数千人体制で警察の捜査が行われたが、手掛かりは見つからなかった。
横田夫妻や地域の人々は「海岸沿いを行き来して、名前を叫びました。主人は地域を探し回り、枝の一つでもいいから、めぐみが残した手掛かりになるようなものを見つけようとしました」と早紀江さんは語った。
韓国諜報当局が日本の公安委員会に提供した非公式情報によると、脱北した北朝鮮スパイが、1976年か1977年に、バドミントンのラケットを所持した13歳の少女を拉致したと、証言したという。
欧州で日本人拉致
1983年7月、神戸外国語大学の学生であり、ロンドンへ留学していた有本惠子さん(当時23歳)は、北朝鮮当局に騙(だま)されて訪朝したきり、消息がわからなくなっている。母親の加代子さんは「彼女は背が高いので、拉致されるとは考えられませんでした。(英国留学に)私たちは反対したけれど、彼女の決意は固く…1年のはずが、5年も音信不通になりました。のちに、彼女が北朝鮮にいるとの手紙を受け取りました」と述べた。
拉致問題担当相である加藤勝信氏は、VOAの取材に対して、北朝鮮による拉致は日本や韓国のみならず、他のアジア諸国やヨーロッパでも起きている事件だと述べた。「重大な人権侵害であり、日本の主権と国民の命と安全を脅かす深刻な問題で、テロ行為に等しい」
日本政府はこれまで17人が北朝鮮により誘拐された拉致被害者と認定している。しかし、警察当局や、家族らから拉致の恐れがあると届出のあった人物を調査する民間団体・特定失踪者問題調査会によれば、拉致による失踪と考えられる行方不明者は約800人いて、実際の被害者の人数は分からない。
2002年、日航機よど号ハイジャック犯の妻が有本さんの拉致に関わったと供述したため、警察当局は有本さんを拉致被害者に認定した。
北朝鮮による拉致問題には、極左思想団体が犯行を手伝っていたことが、検察の調べにより明らかになっている。2002年3月12日付読売新聞によると、検察はよど号メンバーの妻の裁判の冒頭陳述で、「日本革命の中核となる日本人を発掘、育成するために頻繁に北朝鮮、日本、ヨーロッパを往来。北朝鮮に連れ出していた」と記している。
1991年、有本さんら拉致被害者の3家族が、初めて拉致問題として解決のために実名公表の記者会見を計画した。しかし、元共産党員で左翼言論誌を主に並べる書店の経営者・遠藤忠夫氏は妨害を図った。遠藤氏は「北朝鮮との太いパイプがある。中止すれば助けられる」と開催者に接近し、会見中止を働きかけた。遠藤氏は日本赤軍の連絡役で、よど号犯行グループを支援していた。
日本語教育係に
北朝鮮による計画的な誘拐は、被害者の未来、家族との時間を奪っていった。
警視庁が拉致被害者と認定する飲食店従業員・田口八重子さん(当時23歳)は1978年、3歳と1歳の子供を東京池袋の保育所に預けたまま、戻らなかった。
八重子さんの兄・飯塚繁雄さんは、ベビーホテルから、母親が1週間戻っていないと電話を受けた。2人の子供を預かった飯塚さんは、1カ月程度で姿を現すと考えていたという。しかし、八重子さんは戻ってこなかった。
繁雄さんは当時1歳だった甥(おい)っ子の耕一郎さんを養子に迎え、3人の実子と同様に愛情を注ぎ育てた。耕一郎さんは「21歳の頃、自分は養子であり、生みの母親がいると教えられました」「北朝鮮にいると教えられて、ショックを受けました。そこで『幸せに暮らしている』と聞かされていますが、これはただ、他人が言っているだけ」とVOAに述べた。
耕一郎さんは2004年2月、八重子さんの息子であることを公表し、養父の繁雄さんと共に記者会見を開いた。同時に、八重子さんへの手紙も公表した。
拉致事件をどう解決すればいいか考えるも、自分には大きな動きはできないため、もどかしいとつづった。「お母さん、一日も早く帰ってきて。拉致された人たち全員が一日も早く帰ってこられるよう、強く願っています」会見では、「繁雄さんが自分の親父(おやじ)です」と重ねて強調した。
なぜ拉致されるのか
北朝鮮がなぜ日本人を拉致するのか。ニューヨーク大学ジャーナリズム学部のロバート・ボイントン(Robert Boynton)教授はVOAの取材に対して、ひとつは、金一族体制を軸とする国家「主体思想」で彼らを洗脳し、金日成の社会主義革命を実現させるための工作員をつくる目的だと述べた。
さらに、工作員となった彼らを金政権のスパイとして、他国に送る狙いがある。あるいは、北朝鮮人に日本語を教え、「日本人」を偽装させる。このため、拉致された日本人は北朝鮮で、日本語のみならず日本文化、社会、暮らしなど、日本に関するあらゆる情報を工作員に教えているという。
警察当局によると、八重子さんは、1985年に起きた大韓航空爆破事件の犯人・金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚の日本語教育係だったとされる。
読売新聞2004年5月21日付によると、田口さんは勤め先の飲食店常連客だった在日朝鮮人で、宮本を名乗る北朝鮮工作員の男に「いい仕事がある、3日で帰れる」と騙されて、マレーシア経由で北朝鮮に渡った。
また、韓国に亡命した北朝鮮工作員・安明進(アンミョンジン)氏は、平壌で88年~91年に金日正政治軍事大学で横田めぐみさんを見たと証言した。同大では学生は徹底した主体思想の教育を受け、朝鮮労働党や政府幹部が入り、スパイも養成する国のエリートが通う大学であることが知られている。
日本政府の取り組み
安倍晋三首相は2002年3月、日朝首脳会談に臨んだ小泉純一郎政権の副官房長官として訪朝に同行した。金日正・総書記とも握手を交わしている。金総書記は拉致を認め、謝罪した。日本側が誘拐の動機を聞くと「北朝鮮スパイは日本語を学ぶ必要があるから」と答えたという。
元産経新聞記者・阿部雅美氏によると、日本側は、言語習得目的の拉致という金正日政権の主張を信じていない。北朝鮮には日本語を話せる人物がすでに多くいるからだ。北朝鮮による計画的な日本人拉致の目的は、日本人という「戸籍の窃盗」と阿部氏は分析する。
阿部氏によると、60年代以後、日本では身分証明書の窃盗が相次いだ。北朝鮮の工作員は日本人を偽装して、外国にわたり、スパイ活動を行っているという。
阿部氏は1980年1月、日本海沿岸部のカップル連続蒸発は、外国勢力の関与の疑いがあるとして、はじめて拉致問題をスクープした。この記事をきっかけに、横田滋さんと早紀江さんは、めぐみさんの失踪は拉致ではないかとみて、外務省や国会議員、マスメディアへの働きかけを始めた。
5人の帰国
1979年、新潟県佐渡島で暮らしていた曽我ひとみさん(当時19歳)は、日没後、母親と買い物をしている最中に、母親と共に拉致された。2002年10月、外交交渉により無事帰国した。
「日本の第一次訪朝団の話で、日本側の状況を初めて知りました。私の夫は、日本の家に帰るよう励ましてくれました」曽我さんはVOAにこう述べた。夫は、北朝鮮で政治亡命者扱いになっていた在韓米軍の兵士チャールズ・ジェンキンス氏。拷問や主体思想を洗脳されたのち、英語教師を務めていた。
ボイントン氏が知る限りでは、当初北朝鮮は、5人が日本に帰国したのち再び北朝鮮に戻る。その後、家族が北朝鮮へ面会に来るという計画があったという。
曽我さんの帰国から2年後、2004年小泉純一郎首相の2度目の訪朝で、ジェンキンス氏と2人の娘が日本に入国し、日本当局は長期の日本滞在を許可した。「日本で家族みなと住むことができて、本当に幸せです」と曽我さんは語った。ジェンキンス氏は2017年12月に家族の住む佐渡島で病死した。77歳だった。
2017年、英国で亡命したリ・ヨンホ北朝鮮外交官が著書で明かした日本人帰国交渉によると、拉致被害者を帰国させることで、小泉政権と11億円の医療支援費とコメ25万トンの食糧支援の約束を結んだ。北朝鮮は平壌で開かれた日朝実務者協議で、横田めぐみさんと婚姻関係にあったという男から遺骨を日本に渡した。しかし1カ月後、DNA鑑定で別人であることが発覚したため、日本は支援の約束を破棄したという。
横田めぐみさんの弟・拓也さんは、北朝鮮が提示した「1993年にめぐみさんは死亡した」との文書は虚偽だったと確信した。2002年に無事帰国した5人の拉致被害者たちが、1994年以降にもめぐみさんと同じ集落で暮らしていたり、面会したりしているからだ。
安倍晋三首相は、父親の安倍晋太郎議員の秘書を務めていたころから、有本惠子さんの拉致問題対策を行っている。首相就任後も、横田早紀江さんら拉致被害者家族らと面会を重ねている。2018年10月2日、第4次安倍内閣の発足会見で、拉致問題は「総力を結集して早期解決を決意」と意思表明した。
北朝鮮問題について、公開されている日本政府の見解は「対話と圧力の姿勢を継続し、拉致問題の解決なしに国交正常化はない」。
米トランプ大統領は、史上初となる米朝首脳会談で、日本人拉致問題について議題に挙げた。
拉致被害者家族連絡会の事務局長・横田拓也さんは「母(横田早紀江さん)はすでにブッシュ氏、オバマ氏、トランプ氏と3代の米大統領と直接会い、拉致問題を話しています。日本のみならず、米国や世界各国へ、被害者の救出を呼び掛けています」と述べた。
テレビや雑誌で似た顔を探して
横田拓也さんは、母早紀江さんの40年にわたる奔走を語る。「母は何度も、姉(めぐみさん)と似たような顔の女性を見かけると、テレビ局や雑誌社に連絡し、映像や写真はどこで撮ったのかと聞いています。母は、こうしたことをもう何度も繰り返しています」
元産経新聞記者の阿部雅美氏は、家族やメディアは問題の取り組みにはそれぞれ最善を尽くしたが、あとは政治的な力にかかっていると述べた。拉致被害者の生死について、阿部氏は、死亡の明確な証拠がない限り、日本政府や関係者は生きていると仮定して働きかけなければならないと語った。
加藤勝信・拉致担当大臣は2014年5月、北朝鮮とストックホルムで協議を行った。北朝鮮側は拉致問題について全面的な調査を行うことに合意したという。しかし、4年経っても一切の進展はみられず、関係者を落胆させた。
八重子さんの兄、飯塚繁雄さんは、拉致問題解決の意思表明をしめすブルーリボンのバッジの意味を説明した。「リボンは青い空と海を象徴しています。同じ空と海の元に家族がいるという意味です」手帳に挟んだ八重子さんの古い写真に目を落とし、「私の想像ですが、写真を見ると、彼女は救われたいと願っているのではないかと感じるのです」と述べた。
横田早紀江さんは「絶望しています。これは言葉で言い表すことのできないもので、他の人には理解されないものかもしれません、終わりのない、絶望よりも絶望なのです」。
曽我ひとみさんの母親は、拉致のあとから行方不明になっている。曽我さんは、佐渡の工場で働いていた頃の母親の思い出を語った。着物には、工業油の臭いが残っていたという。「もし元気なら、いつか佐渡に戻ってこられる。それができるよう私も頑張ります。お母さんは、頑張らなくていいから、ただただ、元気でいて」
(翻訳編集・佐渡道世)