2019年10月28日、中国当局に弾圧されている伝統気功グループ、法輪功の女性学習者の劉偉珊さん(51)が湖北省で死亡した。生前、劉さんは武漢市女子刑務所で、残酷な拷問を受け、精神に異常をきたした後、寝たきり状態になった。中国当局はかつて、まだ呼吸をしている劉さんを火葬炉に入れようとしていた。
法輪功情報サイト「明慧網」によると、劉さんは湖北省襄樊市の住民で、同市漢江機械工場(現在は中航工業航宇救生装備有限公司)の附属学校で教員として務めていた。勤勉な劉さんは人望の厚い人だった。劉さんは複数の持病を持ち、1994年に胆のう摘出手術を受けた。1999年初めに法輪功を修煉し始めてから、体調が良くなり、病の苦痛も和らいだ。
1999年7月20日、当時の国家主席である江沢民らが法輪功学習者に対して弾圧政策を実施し始めた。メディアは当局の指令の下で、法輪功に関する虚偽の報道を行った。劉さんは、親族、同僚や上司に、メディアの報道を信じないようにと説得したが、上司らは劉さんを勤務先に一時軟禁した。
2000年、会社は法輪功弾圧の専門機関「610弁公室」の職員らと共謀し、再び劉さんを拘束した。同年12月16日、劉さんは襄樊市の思想教育クラスに連行され、市警察当局の幹部に殴打された。その後、同市漢江派出所で2週間以上拘禁された。
2001年7月3日、地元当局は劉さんを市の労働教養所に入れ、61日間拘束した。劉さんは、人が直立できない鉄製の籠に5日間も閉じ込められた。
2002年5月、市当局が劉さんを再び地元の刑務所に連行した。そこで、劉さんはハンストを行い抗議をした。警官らは劉さんを市の第一医院に入れ、2週間にわたり強制灌食を行った。劉さんは一時危篤状態となった。
当局はその後、劉さんを自宅に帰した。回復した劉さんは、依然として市民に法輪功についての真相資料を配り、当局の宣伝を信じないようにと伝えた。2002年9月14日、劉さんは襄樊市第一看守所に拘束された。ここで、劉さんは裸にされ殴打されたうえ、口から胃まで管を入れられて1日2回の強制灌食をされた。灌食による拷問は1カ月間も続いた。同年10月13日、地元当局は劉さんに4年の懲役刑を言い渡し、武漢市女子刑務所に移送した。
武漢市女子刑務所は、法輪功の修煉を止めない学習者に、後ろ手に手錠をかけて、狭い暗室に閉じ込めた。暗室にいる学習者らに何日間も睡眠をとらせず、トイレにも行かせなかった。ハンストで抗議する学習者には、悪臭のする水を使って灌食を行った。精神的かつ肉体的な苦痛で多くの学習者が精神に異常をきたし、または死亡した。
劉さんも武漢市女子刑務所に入れられて数カ月で、精神状態が悪化し、生理が止まり、両腕が震え続け、両足で真っすぐに立つことができず、身の回りのこともできなくなった。刑務所側は、劉さんが死亡すれば、刑務所側の法的責任を問われるのを恐れて、刑務所内の医務室の職員に対して、劉さんに薬物注射を打つよう命令した。
2006年1月31日、危篤状態で意識不明となった劉さんは襄陽市364医院に搬送された。劉さんを見舞いに行った友人や同僚らは、「健康だった人をなぜここまで苦しめるのか」と悲しんだ。その時、劉さんは骨と皮ばかりに痩せこけて、全身が絶えずけいれんしており、目もうつろになっていた。
家族らによると、この時の劉さんは寝たきり状態になって、両足の筋肉が萎縮し、「之」の字に曲がっていた。劉さんは精神がほとんど錯乱状態になっていたが、時折看護師に「家に帰りたい」と話していた。
2011年8月、襄陽市「610弁公室」の職員と364医院党委員会書記の樊智勇は、病院のスタッフに、まだ息をしている劉さんを葬儀場に運ぶよう指示した。劉さんが火葬炉に入れられる直前、葬儀場の従業員が劉さんがまだ生きていることに気づき、火葬炉に入れるのを拒否した。
病院側は劉さんを連れて戻り、病室に監禁した。2013年、劉さんの同僚らが病院へ見舞いに行った際、女性看護師に「610弁公室」と病院側の命令で、「見舞いはできない」と阻止された。この時、劉さんはすでに植物人間になっていた。
2019年10月28日、劉偉珊さんは364医院で亡くなった。
湖北省武漢市の法輪功学習者は過去20年間、当局から残酷な迫害を受けてきた。明慧網の統計では、2019年、中国全土で約1万人の学習者が拘束された。武漢市の拘束者は217人に達し、各都市の中で2番目に多かった。なかには80代の高齢者もいた。
一方、武漢市広播電視局の元局長で、武漢市テレビ局のトップを務めた趙致真らは、1999年6月、法輪功を中傷するドキュメンタリー番組を制作した。江沢民がこのドキュメンタリー番組を使って、党内の他の高官に対して、法輪功弾圧政策に賛成するよう説得した。同年7月22日以降、国営中央テレビ局はこのドキュメンタリー番組を繰り返し放送し、世論操作を行った。
(翻訳編集・張哲)