【大紀元日本7月3日】重慶市元トップ薄煕来氏の解任に絡み、3月にミニブログを中心に「北京で銃声が聞こえた」、「北京でクーデターが起きた」とのうわさが広まった。当時、当局は「デマの流布」で6人を逮捕し、クーデター説を一蹴した。しかしこの度の香港紙の記事で、当時、確かにクーデター寸前まで軍と政法(司法、公安)委員会との間は緊迫していたことが暴露された。
香港誌『前哨』最新号は3月19日に胡錦濤主席の指示を受け北京入りした第38軍と、政法委が管轄する武装警察との衝突の一部始終を報じた。同紙は、伝えられた情報は中央政治局に非常に近い関係者からのものとし「3月19日のクーデターは89年天安門事件後の最大の騒乱だ」と主張している。
記事によると、薄氏の腹心だった重慶市元公安局長の王立軍氏が米総領事館に駆け込み、薄氏らの政変計画を暴露したのを受け、胡主席は身辺護衛を担当する中央警衛局のメンバー全員を第38軍の人員と入れ替えた。これで薄氏の後ろ盾である周永康氏の勢力を徹底的に排除した。
同時に、胡主席の秘書で中央弁公室主任の令計画氏は警衛団に「胡主席から3メートル以内は無断接触を禁止」と通達した。
3月19日、胡主席は北京付近に駐屯する第38軍を北京入りさせた。任務は「謀反者の軍事クーデターを頓挫させるため」という。北京市民は天安門広場と府右街付近で大量の戦車と軍人を目撃し、ミニブログでこの異様な風景を書き込んだ。
『前哨』の記事によると、第38軍隊は、武装警察と中央政法委本部付近で対峙し、「胡主席の指示で政変基地を占拠し、政変首謀者を捕まえに来た」と伝えたという。これに対し、武装警察は「国家機関を攻撃すれば、反軍になる。すぐに撤退しないと発砲する」と応じ、空に向けて発砲した。銃声は北京市中心部まで響いたという。
BBCなどの英メディアも同記事を取り上げ、クーデターは胡主席が第18回党大会後も軍事委員会トップの座にとどまるよう、軍への指導権をめぐっての争いだと分析している。
(翻訳編集・高遠)