英国バイリンガル子育て奮闘記(22)
【大紀元日本2月15日】 幼稚園(1992~1994年) ボクは白人、あなたは色つき 娘とは日本語で話すが、娘の友だちが家に来ると、当然英語で会話をするわけだ。子供はお世辞を知らない。いきなり「な
英国バイリンガル子育て奮闘記(21)
【大紀元日本2月8日】 幼稚園(1992~1994年) 読みの練習 ある日、娘を幼稚園に迎えに行ったら、あまり元気がない。ぐったりと疲れた様子で、なんとなくフラフラしていて、珍しくぐっすりと昼寝をし
英国バイリンガル子育て奮闘記(20)
【大紀元日本2月1日】 幼稚園(1992~1994年) 中国人のお母さん 香港出身で、地元で中華料理屋を経営している家族の息子さんが娘の一学年上にいた。きりりとしたハンサムな中国人の男の子だった。
英国バイリンガル子育て奮闘記(19)
【大紀元日本1月25日】 幼稚園(1992~1994年) ウェンディーおばさん 住み込みで子守りをするナニーさんを雇うことは、子供を持つ母親にとっては高嶺の花。実際にナニーさんをロンドンで雇ってい
英国バイリンガル子育て奮闘記(18)
【大紀元日本1月18日】 幼稚園(1992~1994年) サモア人のベビーシッター 幼稚園に通い始める前、教会主催のマザーズ&トドラーズのグループで知り合ったサモア人がいた。彼女が面倒をみていた女
英国バイリンガル子育て奮闘記(17)
【大紀元日本1月11日】 幼稚園(1992~1994年) 「ア・ブ・ク・ドゥ…」 幼稚園では、週に一回か二回、5才から始まるレセプションイヤー(小学校1年に上がる前の準備期間)のクラスに混じって、
英国バイリンガル子育て奮闘記(16)
【大紀元日本1月4日】 幼稚園(1992~1994年) 「お名前が三つあるの」 子供は言語の性質に鋭敏だ。当時、2歳児の女の子に、絵本を見せ、「犬だよ」というつもりで、「doggy」(dogの幼児
英国バイリンガル子育て奮闘記(15)
【大紀元日本12月28日】 幼稚園(1992~1994年) 日本からのビデオ 幼稚園で英語をどんどん吸収していく中、娘の日本語を維持させるためには日本からのビデオが欠かせなかった。(日本語衛星放送
英国バイリンガル子育て奮闘記 クリスマス版(下)
【大紀元日本12月21日】 クリスマスプレゼント 日本のお年玉と違い、イギリスではプレゼントを渡す。子供がある程度大きくなってしまうと、クリスマスカードに現金や小切手がはさまれるようになるが、幼児に
英国バイリンガル子育て奮闘記 クリスマス版(上)
【大紀元日本12月14日】 サンタさんが来た 子供を交えてのクリスマスというのは、サンタさんと出会えるので楽しい。 3月生まれの娘にとって、最初のクリスマスというのはそれほど記憶にないと思う。わずか
英国バイリンガル子育て奮闘記(14)
【大紀元日本12月7日】 幼稚園(1992~1994年) にわとり、にわとり、 コケコッコー 2学期目、3学期目と娘が 幼稚園に通う回数を増やしていくにつれ、やはり起こるべきことは起こった。頭の中は
英国バイリンガル子育て奮闘記(13)
【大紀元日本11月30日】 幼稚園(1992~1994年) おとなしい子 5週間の日本滞在から戻り、母親にだけまつわりついていた時期に、物を指して、マミーの言葉とダディーの言葉の両方を与えたら、「
英国バイリンガル子育て奮闘記(12)
【大紀元日本11月23日】 就学前(1989~1992年) 再び英国へ 5週間の里帰りを終え、英国に戻る。子育て環境としては、英国の方が慣れているので、「やれやれ、家に戻ったよ」とホッとするのも束
英国バイリンガル子育て奮闘記(11)
【大紀元日本11月16日】 就学前(1989~1992年) 初めての日本(下) ちょうど学生時代の友人が、わたしより3カ月前に出産していたので、日本滞在中に子供同士で遊ばせてもらった。3歳になる手
英国バイリンガル子育て奮闘記(10)
【大紀元日本11月9日】 就学前(1989~1992年) 初めての日本(上) 2歳半の秋、初めて日本に連れて行った。英国の南西端コーンウォール州から電車に5時間乗って、それからバスに乗り換えてヒス
英国バイリンガル子育て奮闘記(9)
離乳食が始まるとハイチェアに乗せて、1日3回、365日、「いただきます」と「ごちそうさまでした」を繰り返して聞かせることになる。なるほど、これだけ定期的に同じ音を耳にしていれば、どんな言語も定着すると一人で納得していた。
英国バイリンガル子育て奮闘記(8)
娘の日本語環境は、母親の語りかけとビデオ程度だった。テレビ漬けにならないように、「マミーの言葉の映るビデオさんが疲れちゃうからね」と、30分たったら、バスタオルをかけてビデオさんにおねんねしてもらっていた。耳から入る日本語が限られている状態で、娘が自分で文法を構築していることが分かってきた。
英国バイリンガル子育て奮闘記(7)
童話の読み聞かせは言語の発達に欠かせない。幸いなことに、ロンドンに滞在していた先輩が日本に帰国することになり、良い絵本をたくさんいただいた。おかげで就寝前の日本語での読み聞かせを習慣化することができた。
英国バイリンガル子育て奮闘記(6)
英語より日本語の方が,幼児語が多い気がするのは、私が日本語で生まれ育ったせいだろうか。英語では、大人の会話通り幼児に語りかけるが、日本語では、幼児に対しては幼児語を使う。たとえば、「だっこ」は、英語で「pick me up」。
英国バイリンガル子育て奮闘記(5)
ちょうど絵本を眺めて言葉を発し始めた頃、「部屋の中のもの」と題する絵本のページで、テレビの中でマイクを持って歌う女の人を指さして、アンは「なじぇ、なじぇ」と言い始めた。何を言いたいのか、すぐに「ピン」ときた。
英国バイリンガル子育て奮闘記(4)
子供が自力で動き回るようになれば、当然危ないことにでくわす。ハイハイが始まったら、ストーブに手を近づけないように恐い顔をして「ダメ」と言い、子供の身を守る。躾の面でも「ダメでしょ」「早く寝なさい」「歯を磨きなさい」と、親から子へのメッセージは、上から下への命令口調になりがちだ。
英国バイリンガル子育て奮闘記(3)
ダディー語とマミー語の二言語で育てることに決めたものの、まわりに日本人はいない。「うちのおかあさん、自分で勝手に作った自分語があるのよ」と思われないようにするには、どうすればいいのか。
英国バイリンガル子育て奮闘記(2)
就学前(1989~1992年) マミーの言葉、ダディーの言葉 英国の片田舎で「日本語で」娘を育てるということは、周りに合わせたり、周りの目を気にしたりする日本人気質をかなぐり
英国バイリンガル子育て奮闘記(1)
なんの機縁か、英国南西端のケルト系の地、コーンウォール州の片田舎で一人娘アン(仮名)の子育てをすることになった。夫はイギリス人。日本企業は皆無。日本人といえば、国際結婚をした女性が数名。こんな環境で、私は日本語だけ、夫は英語だけを娘に使用するという、バイリンガル子育てが始まった。言語に留まらず、日英の文化の根本的な違いを痛感させられる18年間だった。