英国バイリンガル子育て奮闘記(52) 褒められない親 (1996年頃)
【大紀元日本9月13日】イギリスで子育てをして感じたことは、子供を「褒める」ということ。親も先生も、とにかく「褒める」。カフェテリア形式の昼食の際、全校生徒の行動を見ているボランティアのお母さんがい
英国バイリンガル子育て奮闘記(51) 夏祭り (1990年代)
【大紀元日本9月6日】娘が1歳の時から、地元で夏祭りが復活した。6月の夏至の週末に地元の小学校が、それぞれ木枠に紙を貼付けて巨大な人やら動物やらを作ってパレードをする。一日3回にわたり、違う小学校が
英国バイリンガル子育て奮闘記(50) ホームステイの日本人(下) (1990年代)
【大紀元日本8月30日】毎年、高校生が家を訪れてくれるのは、娘のバイリンガルの刺激になったようだ。高校生たちにとっても、日本語で息抜きができ、「家は毎日ジャガイモばっかり」とか、本音を出す場になって
英国バイリンガル子育て奮闘記(49) ホームステイの日本人 (上) (1990年代)
【大紀元日本8月23日】1986年にコーンウォールに移り住んだ頃、地元の新聞に「日本人が来た」という記事が掲載された。なんでも、海外交流を目的としたホームステイの活動が地元にあるらしく、国際的な機関
英国バイリンガル子育て奮闘記(48) 日本のお友だちが遊びに来た (1996年頃)(下)
【大紀元日本8月16日】日本から遊びに来た友人一家は、近所のホリデー・コテージを借りて滞在した。カルチャーショックは、子供より親の方が大きかったようだ。まず、洗濯機が違う。(大型でドアは上でなく横に
英国バイリンガル子育て奮闘記(47) 日本のお友だちが遊びに来た (1996年頃)(中)
【大紀元日本8月9日】友人の子供二人(7歳と5歳)は結局、学年末(イギリスでは7月)の最後の二日間の体験入学となったが、英語教師の友人が母親として見学する中、充実したひとときを過ごしたようだった。最
英国バイリンガル子育て奮闘記(46) 日本のお友だちが遊びに来た (1996年頃) (上)
【大紀元日本8月2日】小学校2年生の学年末にあたる7月の末、日本の旧友が家族を連れて遊びに来た。ご主人の勤続10年で、夏休みが長くとれるとのことで、一週間、コーンウォールに滞在してくれた。英国の公立
英国バイリンガル子育て奮闘記(45) 日本の懐メロ (1996年頃)
【大紀元日本7月26日】日本での5週間の滞在を終え、住み慣れたコーンウォール州へ戻った。しかし、娘の方はかなり混乱してしまったらしい。フライトの変更があり、滞在期間が一日減り、月曜から金曜まで日本の
英国バイリンガル子育て奮闘記(44) 日本でのバイリンガル子育て (1996年頃)
【大紀元日本7月19日】国際結婚、異文化の狭間での子育てというのは、まさにケースバイケースだ。周りにあわせようにも周りがない。与えられた環境でベストを尽くしていくしかない。このベストとは何かを判断す
英国バイリンガル子育て奮闘記(43) 日本の生活 (1996年)
【大紀元日本7月12日】英国育ちの7歳児との日本行きは、一人で帰省するのとは全く事情が違う。自分の中の日本の常識がくつがえされる。2年前に連れてきた時も和式トイレは使ったはずなのに、ドアを開けて床に
英国バイリンガル子育て奮闘記(42) 日本の小学校 (1996年) 下
【大紀元日本7月5日】小学校2年生になると、日本的な教育も顕著になると感じた。5日間、娘を日本の小学校で体験入学させた時、娘が学校から戻ってきて、「今日、前へ倣えしたの」と誇らしげに報告してくれた。
英国バイリンガル子育て奮闘記(41) 日本の小学校 (1996年) 上
【大紀元日本6月28日】英国の南西端でのバイリンガル子育て。まわりに日本語の環境はない。なんとか日本語をつないでいくために、2年に1度、日本を訪れることに決めていた。5歳の時、幼稚園に三週間入ってい
英国バイリンガル子育て奮闘記(40) 日本語の教材(1992-1996年) 下
【大紀元日本6月21日】文部省の通信学習は、生活の教科は絵日記を書かせるような感じでなんとかこなした。国語、算数、理科、社会の4教科となってからはいろいろなことを発見した。 上から押し付けることより
英国バイリンガル子育て奮闘記(39) 日本語の教材(1992-1996年) 中
【大紀元日本6月14日】文部省の海外子女用の通信学習では、国語、算数、生活などの教科のドリルが毎月送付され、教科書に合わせてドリルをした後、添削用のシートに取り組む。一つ気がついたのは、娘は算数は進
英国バイリンガル子育て奮闘記(38) 日本語の教材(1992-1996年) 上
【大紀元日本6月7日】娘に日本語の音が定着するように、幼稚園にあがるかあがらないかのうちに、スポンジでできたひらがなパズルで、「ひ」「ひ」「ひ」などと笑わせながら、文字に触れさせた。また、キティーち
英国バイリンガル子育て奮闘記(37) ロンドンのお友達 (1992-1996年)
【大紀元日本5月31日】 娘が幼稚園に通っていた頃だったと思う。突然、中学時代の友人が電話をくれた。なんと、ご主人の仕事でロンドンに駐在とのこと。彼女の娘も同い年で、一人っ子。早速、都合の合う時に、
英国バイリンガル子育て奮闘記(36) コーンウォール州の日本人(1986-2006年)
【大紀元日本5月24日】 コーンウォール州の日本人(1986-2006年) 私が最初にコーンウォール州に移り住んだ頃は、ほとんど日本人が存在しなかった。もう一人、反対側の海岸沿いに住む唯一の日本人の
英国バイリンガル子育て奮闘記(35) バレエとピアノ
【大紀元日本5月17日】 小学校低学年 (1994年9月—1997年7月) バレエとピアノ 日本で,バレエとピアノのお稽古というと、ちょっとハイソかなという印象があるかもしれない。しかし
英国バイリンガル子育て奮闘記(34)
【大紀元日本5月10日】 小学校低学年 (1994年9月—1997年7月) 校長先生 小学校1年から3年まで、娘の小学校は「やり手」の女性の校長先生が取り仕切っていた。とにかく活動が多く
英国バイリンガル子育て奮闘記(33)
【大紀元日本5月3日】 小学校低学年 (1994年9月~1997年7月) ウェールズ人の先生 新しい小学校は、1学年と2学年の併合クラスが二組設けられていた。不思議なことをするなと思ったが、この方式
英国バイリンガル子育て奮闘記(32)
【大紀元日本4月26日】 小学校低学年 (1994年9月~1997年7月) お迎え拒否症 イギリスの学校では、学校側の責任は、校門の内側まで。外側からは親の責任ということで、低学年は親かおばあちゃん
英国バイリンガル子育て奮闘記(31)
【大紀元日本4月19日】 小学校低学年 (1994年9月~1997年7月) 幼稚園、レセプション・イヤーは、少人数の私立だったが、折りからの不況で生徒数も減り、こちらの懐も不安になっていたので、公立
英国バイリンガル子育て奮闘記(30)
【大紀元日本4月12日】 日本の幼稚園(下) (1994年4月) 日本での幼稚園の初日は、春休み中に、働く親が園児を預けられる日で、少人数のちょうどよい「慣らし日」となった。しかし、翌日は、正常にド
英国バイリンガル子育て奮闘記(29)
【大紀元日本4月5日】 日本の幼稚園(上) (1994年4月) イギリスの幼稚園生活にも慣れてきたようなので、イースターホリデーを利用して、日本の幼稚園に体験入学させてもらうことにした。 実家の近く
英国バイリンガル子育て奮闘記(28)
【大紀元日本3月29日】 自分の文化が消えていく… (1995年) 娘をバイリンガルで育てることに決めてから、無我夢中で一つの概念に二つの名称があることを示してきた。全くゆとりはなかった。自分がリラ
英国バイリンガル子育て奮闘記(27)
【大紀元日本3月22日】 自宅教育のオプション(1995年) 周りに合わせながら教育することのできないバイリンガル子育て。敷かれたレールは存在しない。子育ての途中で、いろいろなケースを耳にした。 中
英国バイリンガル子育て奮闘記(26)
【大紀元日本3月15日】 レセプション・イヤー(1994年) イギリスの義務教育は、5才から始まる。 幼稚園には入園式はなかった。案の定、小学校にも入学式がない。その上、入学時期が誕生月によって、ま
英国バイリンガル子育て奮闘記(25)
【大紀元日本3月8日】 幼稚園(1992~1994年) 運動会 日本の運動会は10月が定番だが、イギリスの運動会は6月にある。ウィンブルドンのテニスやダービーの競馬なども催される時期だ。一年を通し
英国バイリンガル子育て奮闘記(24)
【大紀元日本3月1日】 幼稚園(1992~1994年) 誕生パーティー(下) 手作り誕生パーティーで私が一番頑張ったのは、娘が4歳になった時で、幼稚園の友だちを8人くらい招いてのホームパーティーだ
英国バイリンガル子育て奮闘記(23)
【大紀元日本2月22日】 幼稚園(1992~1994年) 誕生パーティー(上) 母親になって、娘が他の子供と交流するようになると、必然的に出くわす行事が、誕生パーティー。1歳になるかならないかのう