6カ月に七十余りの城を攻め落とし、諸葛孔明でも憧れた名将は誰?(二)
連合軍が速やかに斉を攻め落とし、燕軍を斉の各地に配置し、国民を安心させることによって民心を得られ、斉を征服できると楽毅は考えていた。しかし斉の将軍・田単は反間の計を用い、「楽毅は6ヶ月で七十余りの城を落とせたが、なぜ3年かけても即墨と莒を落とせないのか? その理由は楽毅が自ら斉王になろうと企んでいるからだ」と、流言を流した。
孔明から学ぶ!無理難題な取引先との調整方法
諸葛亮孔明は赤壁の戦いのときに、周瑜から2つの無理難題を突きつけられました。
一つは10万本の矢を集めること、もう一つは東南の風を吹かせることです。これをどのようにして対処したのでしょうか。
現代でも、取引先から無理難題を言い渡されたとき、対処する方法はあるのでしょうか。早速、これらの例を見ていきましょう。
諸葛孔明は預言者
諸葛孔明は預言者?諸葛亮(紀元181年~234年)、字は孔明、劉備の名軍師で劉備を補佐して漢の復興を謀った。劉備は「三顧の礼」を持って、諸葛孔明に「天下三分の計」を教わり、魏、呉、蜀の鼎立時代へ導く。