四面楚歌の温家宝 高速鉄道事故の裏に熾烈な権力闘争

2011/08/05 更新: 2011/08/05

【大紀元日本8月5日】2008年の四川大地震の際、温家宝首相は、地震発生からわずか数時間で被災地に向かったが、今回の浙江省温州市の高速鉄道事故の現場に現れたのは事故発生から6日目の7月28日だった。「病気ですぐ来られなかった」と首相は釈明した。しかし、これはウソだったようだ。

温家宝のウソ

28日に温州入りした温首相は「最近体調が悪く、11日間臥せっていた。今日は医師に無理を言ってようやく外出許可をもらった。5日間も遅れたのはこのためだ」と説明した。

しかし、臥せっていたはずの11日間の温首相の動向は新華社がしっかり伝えていた。18日には人民大会堂でイラク大統領と会見。20日に国務院の常務会議を主催。21日に中南海でカメルーン大統領と会見。事故翌日の24日には河野洋平・日本国際貿易促進協会会長とも会見した。さらに、27日には再び国務院の常務会議を主催。

体調不良が本当の原因ではないとしたら、「事故と言えば温家宝」と言われるほどの親民派の温首相がなぜ、世界が注目する大事故に遅れて登場したのだろうか。

香港紙・アップルデイリーがその理由を分析した。同紙は北京の情報筋の話として、事故翌日の24日、最高指導部である共産党中央政治局の常務委員9人が緊急会議を開いたと伝えた。常務委員らは高速鉄道事故をめぐって「誰が責任を取るのか、どこに問題があったのか、高速鉄道関連事業の再編」などについて議論したが、「重大な相違」があったという。

同報道によれば、会議のなか、温首相は珍しく激怒し、鉄道部はすでに「独立王国」に化したと批判した。鉄道部、せめて高速鉄道関連部門を「民営化」するよう温首相は主張したが、「ほかの政治改革の提案のように」他の常務委員からの支持が得られなかった。

常務委員らが反対するのも訳がある。鉄道利権をめぐる汚職が蔓延る鉄道部は、実は江沢民が率いる上海派閥の牙城である。鉄道部を直轄する交通担当の張徳江・副首相も江派の要員。一方、政治局の常務委員9人のうち、胡錦濤と温家宝、そして、太子党の習近平を除き、全員が江派とも言われる。

指導部メンバー自らの利権とも関わりの深い鉄道部にメスを入れることは、当然のように反対された。さらに、胡錦濤主席も、来年に控える共産党第18回全国代表大会の前で事態を拡大させたくないという思惑から、「大きな動き」には賛成しないとの意向を示したという。

常務委員らの鉄道部への庇護に加え、温首相は鉄道部の担当副総理・張徳江氏とも仲が悪いという。そこでこの日、計画していた温州入りを温首相が取り消し、事故の直接責任者・鉄道部とも一線を画す姿勢を示した。

張徳江「できるだけ早く運転再開せよ」

この日温州入りしたのは結局、張徳江副首相一行だった。新華ネットは「胡錦濤主席と温家宝首相の委託を受け、張徳江副首相は温州に駆けつけ救援活動を指揮」との見出しで大々的に報道した。

「胡錦濤主席と温家宝首相の委託」を受けた張副首相が現場で指示したのは、「現場整理を急げ。できるだけ早く運転再開せよ」だった。この指示の下で、救助を早期に打ち切り、事故車両を埋めるといった暴挙が生まれたとみられる。

1日付香港紙・東方日報も、ある鉄道部幹部の話を引用し、鉄道部のトップであっても捜索終了の命令を出せる権限はなく、あるとすれば現場の指揮を取っていた最高責任者の張徳江だと指摘した。

陣頭指揮をするはずのこの張副首相は、自身が下した指示へのバッシングが高まる7月25日から、消息がピタっと途絶えた。

一方、24日の政府系・中新ネットは、「事故発生後、胡錦濤主席、温家宝首相、周永康同志、張徳江副首相などの中央指導者はそれぞれ重要な指示を出した」と記している。しかしその後の報道では、「周永康同志」はどこにも見当たらない。海外中国語メディア・人民報は、張徳江身辺の人の話として、「彼も指示されている」と伝えた。胡主席と温首相の発言が明らかになったため、唯一どんな指示を出したか分からないのは「周永康同志」であり、彼こそが張徳江に「指示」した人ではないかと人民報は分析する。

この「周永康同志」は江沢民の親戚である。政治局常務委員でもある彼は、筋金入りの江派。事故の処理が悪評を招いた後、彼は一兵卒の張徳江を前面に出し、自らは保身に逃げたと人民報はみている。

温首相が反撃するも阻止される

事故後6日目、白熱化した国内世論を鎮めるため、とうとう温首相は事故現場に入った。事故当初の指示について、「胡錦濤主席は人命救助が第一と指示した。私もいち早く電話で鉄道部の責任者に二文字を言った。それは『救人(人命救助)』だ」と釈明した。さらに、「鉄道部の関連部門はこの点(人命救助)を実施したかどうか、事実に基づいた回答を人民にするべきだ」と鉄道部や現場指揮を担当する張副首相の対応への不満をあらわにした。

さらに、この日の記者会見において、温首相は事故原因や処理について「民衆が疑問を呈している」と認め、「調査のすべての過程を公開し、社会の監督を受ける」と強調した。さらに、「背後に腐敗問題があれば、法に基づいて対処する」と鉄道部に釘を刺した。

しかし、温首相のこの記者会見の様子は中国中央テレビ(CCTV)に中継されることはなかった。当日夜のニュース番組の中でも、トップニュースとして扱われなかった。

一方、温首相の「公開」発言の余韻がまだ残る翌29日、共産党の中央宣伝部(中宣部)は事故に関する報道の禁止令を出した。「プラス面の報道と権威部門が発表した最新情報以外、いかなる報道もしない、いかなる評論も載せない」とするこの禁止令は、温首相の発言にそっぽを向いて、対抗した形となった。

この中宣部、ならびに中国の思想・宣伝部門を統括するのは、政治局常務委員の李長春である。この李長春と周永康、呉邦国、賈慶林の4人は「新4人組」とも呼ばれるほどの江派の中核。こうして、指導部の中で温首相の力が落ち、四面楚歌であることがさらに浮き彫りとなった。

共産党政権、改善の可能性なし

今回の事故で世に晒された共産党政権の荒唐無稽さ。その政権の中枢にいる温首相でさえも、少しの良識ある行動をとれば封じられる。これについて、米国在住の中国問題専門家・張海山氏は「政権内の改善は望めない」と断じ、「共産党政権の存在そのものが中華民族にとって巨大な災難である」と指摘した。

1957年に毛沢東が発動した、55万人の被害者を生んだ反右派闘争は、後に数千万人が餓死する「大躍進」へと続く。「大躍進」はさらなる災難「文化大革命」への踏み石となる。その後、共産党政権は「徹底的に文革を否定する」と宣言したものの、今ではその時代の革命ソング「紅歌」が中国全土で鳴り響く。

四川大震災では「おから学校」の下敷きになった子ども達のリストと調査報告を出版しようとした譚作人氏は「国家政権転覆罪」で投獄され、彼を応援した艾未未氏も拘束された。CCTVが宣伝した粉ミルクを飲んだ子どもたちが結石となり、親らが訴えるも有罪となった。

そして今回の事故。同じ轍を踏む共産党政権。中国の庶民は、今までにない勢いでインターネットでこの政権を罵倒すると同時に、共産党の党員らやその関連組織のメンバーが組織からの離脱を声明する。

「水能載舟、也能覆舟(水は舟を浮かばせることもできれば、舟を覆すこともできる)」。中国のこの諺は、すでに1億人を目前とする脱党(関連組織)のうねりが中国共産党を解体し、共産党政権を覆すことを予言しているようだ。

(張凛音)
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