人工股関節置換術は、米国で行われている整形外科手術の中で最も一般的な手術の一つであり、変形性関節症や関節リウマチのような疾患で苦しんでいる数多くの人々の痛みを和らげました。
しかし、過去数十年にわたる開発にもかかわらず、この手術によって、特にメタル・オン・メタル(MoM)人工股関節を体内に埋め込んだ一部の患者さんは、深刻なリスクを伴う可能性があります。
MoM人工股関節を構成する「ボール」と「ソケット」には、コバルトクロム合金が採用されていますが、関節面が擦れて摩耗すると、金属粒子が周囲の組織や血流に放出されます。その粒子が蓄積されることで、有害なメタローシス(金属毒性)が生じるほか、排出されたコバルト粒子によってコバルト中毒になり、組織壊死や骨量減少、アルツハイマー病に似た神経系の合併症などの症状を引き起こす可能性があります。
人工股関節置換術の歴史
ほぼ1世紀前から行われている人工股関節全置換術(THR)は、今では整形外科手術の中で最も安全で成功率の高い手術のひとつとされています。米国整形外科学会によると、米国では年間45万件以上のTHR手術が行われています(日本では年間約7万件以上)。
旧来の人工股関節では、一般的に金属製の「ボール」とポリエチレン製の「ライナー」または「ソケット」が使用されていました。最近では、様々な組み合わせの金属合金、架橋ポリエチレン、セラミックなどが最も一般的です。
MoM人工股関節は1966年に初めて使用され、すぐに人気を博しました。従来から使用されているメタル・オン・ポリエチレンのインプラントと比較して、摩耗が少なく耐久性に優れているほか、大腿骨頭(「ボール」の部分)を大きくできるため、安定性や可動域が広がり、脱臼の可能性も低くなるなどの利点があると考えられていました。そのため、MoM人工股関節は、特に若くて活動的な患者さんにとって魅力的な選択肢となりました。
さらにデザインが進み、コバルトクロム合金製のMoM人工股関節が使用されるようになりました。このインプラントは2000年代に本格的に普及し、2006年から2012年の間に60万人以上のアメリカ人がMoM人工股関節全置換術を受けましたが、その後、製品の回収や訴訟、そしてMoMインプラントに伴う深刻なリスクへの認識の高まりにより、使用量は激減しはじめました。それらのリスクには、心臓や甲状腺の問題、神経症状などが含まれます。
発見された問題
股関節、膝関節、肩関節の手術を専門とする整形外科医として30年のキャリアを持つスティーブン・タワー博士は、コバルト含有インプラントのリスクに関する研究のパイオニアです。彼がこの問題の調査と研究結果のシェアに情熱を抱くようになったのは、彼自身がMoM股関節による恐ろしい失敗を経験したからでした。
2006年に人工股関節置換術を受けた後、彼はすぐに厄介な症状を経験するようになりました。
「2007年に重病になったとき、コバルトを疑いました。股関節の周りの組織に大きなダメージがあったため、股関節を取り外す必要がありました。耳鳴りや難聴に加え、網膜の損傷もありました」とタワー博士はエポックタイムズに語っています。
また、睡眠障害、気分の起伏、平衡失調、心臓の硬直(拡張型心筋症)なども経験したそうです。
MoMインプラントが整形外科機器市場に導入された直後、予期せぬ副作用との関連が明らかになりました。MoMインプラントは、他のタイプのインプラントの約6倍の確率で失敗し、ボールとソケットの摩擦によって、金属デブリが周囲の組織や血流に放出されていたのです。血液中にコバルトや他の金属が蓄積されると、心臓、脳、目、耳、その他の臓器に損傷を与える可能性があります。
導入時から問題があった
医学誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンによると、この高リスクの医療機器は、「510(k)申請」と呼ばれる規制の抜け穴を利用して市場に投入されたといいます。
「510(k)申請」とは、通常なら安全性と有効性を示す臨床試験を通過する必要がある高リスクの医療機器でも、米国食品医薬品局(FDA)がすでに承認した製品との「実質的同等性」を証明すれば、市場に出すことができるという申請手続きです。
重要なのは、その「実質的な同等性」が、現在使用されていて安全性と有効性の実績がある機器との「実質的な同等性」である必要はないということです。つまり、自主回収されたり、安全性や有効性が確認されていない製品と「実質的に同等」の新製品が市場に投入される可能性があるのです。
廃止後も使用されている
MoM人工股関節は、少しずつリコールが起き、徐々に廃止されており、2016年5月以降、米国では使用されていないにもかかわらず、完全に市場から撤退する前に約100万のアメリカ人に埋め込まれたと推定されます。
それでも、一部の表面置換型人工股関節置換術にはまだコバルトクロム部品が使用されており、膝や肩などの他の特定種類のインプラントも同様です。
コバルト中毒やメタローシスの重症例に対する唯一の治療法は、金属部品を除去して非金属の代替品に置き換える再手術です。残念ながら、再手術は、最初の手術よりもリスクと費用が高くなることが多いです。
最初の手術で骨量が減少すると、新しいインプラントがうまく固定されにくくなることがあります。しかし、それほど重症でない場合は、キレーション療法が血中のコバルトイオンとクロムイオンの濃度を下げるのに効果的な場合があります。この治療法は、股関節や膝の関節置換術に関する医学誌「アースロプラスティ・トゥデイ」の2020年6月号に掲載されたレポート「N-アセチルシステインがMoM人工股関節置換術における血中クロムおよびコバルト濃度を低下させることが判明」など、いくつかの事例から支持を得ています。
コバルトの難題
MoM人工股関節に起因するコバルト中毒が特に懸念されるのは、コバルト濃度の上昇による症状がアルツハイマー病や認知症に似た神経症状であることが多く、他の種類の毒性による症状と類似しているからです。
このため、コバルト中毒は誤診されやすく、加齢による自然な影響と誤認されやすいとタワーは説明します。
「最もよく見られる症状は震えですが、患者さんはそれに気づかないこともあります。また、とても一般的な症状として、視力の低下や疲労が挙げられます。しかし問題は、このような症状が高齢化社会ではとても一般的であることです。自分たちが経験していることが加齢によるもの以上だと感じているかどうかが問題です」。
血中コバルト濃度の安全閾値は、広く合意されているわけではありません。全米で最も優れた病院のひとつに数えられるメイヨークリニックによると、正常な血中濃度は1.8マイクログラム/リットル(mcg/L)以下であるべきとされています。2.0マイクログラム以上ではモニタリングが推奨され、5.0以上では毒性があるとみなされます。そして、コバルトクロム製の人工股関節を装着した患者の血中コバルト濃度は、安全とされるレベルの何倍にも上昇することがあります。
2014年1月29日に開催された米国リウマチ学会(ACR)のシンポジウムで発表された、メタル・オン・メタルあるいはメタル・オン・ポリエチレンのインプラントで人工股関節置換術を受けた患者の3症例では、コバルト血中濃度が20.0~287.6 mcg/Lでした。後者は安全基準値を約160倍超えています。
症例を発表したロバート・D・バニング医学博士によると、患者らの間で股関節痛は顕著な特徴ではなかったといいます。むしろ、コバルト中毒の様々な症状には、心臓や甲状腺の深刻な合併症、疲労、白内障が含まれていたそうです。
神経症状
後の研究で、コバルト毒性と神経疾患との関連性が明らかになりました。
医学誌「クリニカル・トキシコロジー」2014年9-10月号に掲載された、人工股関節置換術後の金属毒性に関連する研究レビューに次のようにあります。
「18人の個別症例のうち、報告された全身的特徴は、神経眼毒性(14人)、心臓毒性(11人)、甲状腺毒性(9人)という3つの主要カテゴリーに分けられた。神経毒性は、末梢神経障害(8例)、感音性難聴(7例)、認知機能低下(5例)として現れ、眼毒性は視覚障害(6例)として現れた。これらの神経学的特徴は、認知機能低下を除いて、すべて以前にコバルト中毒と関連していた」
他の研究でも、コバルト中毒に伴ううつ病や記憶喪失が取り上げられています。
特に高齢者の場合、コバルトクロム製のインプラントによる毒性は、記憶障害や集中力の低下を主な特徴とするアルツハイマー病や認知症と間違われやすいことは想像に難くありません。
また、タワー博士は、MoM以外の人工関節にもコバルトクロムが含まれており、ある程度のリスクをもたらす可能性があると警告しています。
北米では現在2,000万人が何らかのコバルトクロム製の人工関節を使用していることを考えると、これは公衆衛生上の重大な懸念です。
危険性は予測不可能で、個人差がある
コバルトクロム製のインプラントに耐性を持つ人がいる一方で、副作用を起こす人も多く、誰がどんな反応をするかを予見することは不可能だとタワー博士は言います。
「コバルトの濃度が異なれば、個人差もあり、これは免疫系と関係しています。血中コバルト濃度が非常に高くても、全身毒性に問題がない人もいます」。
「私のような比較的極端な例や、死亡したり、耳が聞こえなかったり、目が見えなくなったりした例から、障害に幅があることが分かりました。しかし、1つの症例報告に対して、同じような重症度で報告されなかった症例がどれだけあるでしょうか?」。
また、他の疾患と誤診されたケースも多いかもしれません。コバルトへの暴露は人によって様々な影響を与えるため、患者も医療従事者も、人工関節置換術後のコバルト中毒を示す可能性のある症状について知っておく必要があります。
ロチェスター大学医療センターによると、コバルト中毒の症状には、疲労、脱力感、末梢神経障害、聴覚障害、視覚障害、認知機能低下、心筋症、甲状腺機能低下症などがあります。また、痛み、睡眠障害、気分障害も症状として指摘されています。
コバルトの濃度は血液検査または尿検査で容易に検出でき、特に早期に発見できれば、コバルトによるメタローシスの多くの症例は治療可能です。コバルトを含むインプラントを使用したことのある人は、これらの症状を知っておいて、問題が発生した場合にはすぐに医師に連絡できるようにしておく必要があります。タワー博士は次のように述べています。
「コバルトへの曝露によって、自立した機能を制限されるような影響を受けた人がどれだけいるか、誰が知っているのでしょうか。患者、外科医、研究者としての私の経験から分かっていることは、整形外科インプラントによるコバルト中毒は一般的で、治療可能であり、予防可能だということです」。
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