「神を敬い、過ちを改める」張道陵が明示した疫病に克つ方法
西晋(265~316)の葛洪(かつこう)が著した『神仙伝』には、100人あまりの神仙の話が載っています。
【歌の手帳】五月雨のころ
都だにさびしかりしを雲はれぬ吉野の奥の五月雨のころ
人を誤解することは容易だが、真意を知るのは難しい
後漢の頃のお話です。廬江県(現中国安徽省合肥市)出身の毛義(もう・ぎ)と東平県(現山東省泰安市)出身の鄭均(てい・きん)は二人とも誠実で温厚な人物であると評判でした。
【絵画鑑賞】宮廷で授業をする才女・班昭
中国後漢の時、班昭(はん しょう、45年 – 117年)という一人の才女がいました。彼女は当時の文豪・班彪(はん ひょう、3年 – 54年)の娘でした。班昭は才徳兼備で、漢の和帝によって数回に渡り宮中に招かれました。皇后や妃たちは彼女を師として、経史典籍を学びました。そのため「大家(昔の用法で、中年女性に対する敬称です)」と呼ばれ、またはその夫の姓である曹を冠して「曹大家(そうたいこ)」とも呼ばれました。
一銭太守
劉寵は後漢の時の東莱郡牟平(現在の山東省)出身の人。漢の桓帝の時、彼は会稽郡の太守を担当し、在任中、煩雑な政令や刑罰の法を簡略化し、厳格に法律に基づいて物事を進めました。そのため、社会の秩序は整然となり、庶民も豊かな暮らしを楽しむことが出来ました。
糟糠の妻
貧乏暮らしをしながら献身的に夫を支える「糟糠の妻」という言葉。最近では、成功した芸能人が苦労を共にした妻を捨て、不倫に走ったといったスキャンダルが目立ちますが、この「糟糠」の語源とはなんでしょうか。由来は1800年前の中国・後漢の頃にさかのぼります。
中華文明の薀蓄「糟糠之妻」
【大紀元日本8月8日】宋朝の蘇軾による『東坡志林・梁賈説』には、「富貴に居る者は、糟糠を易からず」とある。そして明朝の不詳の作者による『鳴鳳記・鶴楼起義』にも、「私の昔の糟糠を土苴(つちづと)のごと