中国伝統文化と日本(四)
日本史上における中国文化の受容は、大陸から海を隔てた日本にとって、程よい春風であった。この点は、大国の文化的圧力という強風をまともに受けねばならなかった朝鮮半島と根本的に異なっている。文化とは総じて良いものであるが、その風当りによっては、花びらにも石つぶてにもなる。
鑑真にも認められていた 聖徳太子の前世は慧思禅師か?(2)
聖徳太子の前世の姿だと言われた慧思禅師は日本と中国の僧侶から尊敬されていましたが、どのような人物だったのでしょうか。
鑑真にも認められていた 聖徳太子の前世は慧思禅師か?(1)
鑑真は、「昔、南岳の慧思禅師が遷化した後、仏法を興すために日本の王子に生まれ変わった」と言いました。この日本の王子が聖徳太子だという。
【紀元曙光】2020年1月1日
大海原に、光芒を立てて朝日が昇る。その天象を神にも等しい存在と見る国民は日本人だけであろう、と言っては筆の走り過ぎかもしれない。ただ、今日はお許し願いたい。年頭に当たり、わが身を清めるつもりで粛然と日の光を浴びたいからだ。
唐太宗、中国書道文化の功臣?
隋が滅んで間もなく、日本では聖徳太子が亡くなった4年後の629年、中国で史上で最も有名な皇帝の一人である唐太宗(タン・タイゾン)が即位した。太宗は清廉潔白な政治を行い、部下の才能に応じて採用したことにより、唐は「貞観の治」と呼ばれる中国の政治的理想時代を迎えた。
千鳥が淵・国立戦没者墓苑:「第26回全戦没者追悼法要」しめやかに執行
【大紀元日本9月20日】千鳥が淵・国立戦没者墓苑で18日正午35分過ぎから、「第26回全戦没者追悼法要」が行われ、浄土宗本願寺派(総長:不二川公勝氏)による式次第の下、関東はもとより関西地方からも弔